Posted on 2014.06.24

戦国元親くん 

第7話 気を配る

本能寺の変から25日後の清洲(きよす)会議で信長の跡目争いの主導権を握った秀吉は、矢継ぎ早に地位固めの手を打った。一方、元親は四国平定を急いだ。清州会議から2か月後、四国統一に王手をかける戦いが始まった。

① 毛利と調停し、中国大返し(おおがえし)※で光秀を討った秀吉。これに、以前から秀吉と通じ合っていた三好・十河勢は勢いづいた。三好の本拠・勝瑞城(しょうずいじょう)には「鬼の十河」と恐れられた十河一存(かずまさ)に育てられた十河存保(長治の弟)がいた。

※軍師官兵衛の知恵で、全軍を岡山・高松城から京へ向け200キロ近く大移動させた。

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※戦国時代、他国では兵農分離(へいのうぶんり)で戦う軍が形成されつつあったが、土佐では兵士と言っても「一領具足」と呼ばれる農民が主力だった。

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③ 元親の呼びかけに、長男を除く15歳〜60歳の農民達が応じ集まった。

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④ 世紀の中富川(なかとみがわ)合戦の火ぶたが切られた。攻める元親軍。籠る三好軍。そこに大雨が降ってきた。

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⑤ ついに川が溢れ付近は水没した。当時、食料は各陣ごとに準備することになっていたが、元親は自分の食料を減らして兵を救った。農民兵に心を配りきる元親に大いに団結心が高まった。

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⑥ 元親軍の勝利目前、十河存保の立ち退き嘆願に元親は囲みを解いた。元親はなぜ戦いきらなかったのか?一領具足=農民の命をムダにしない—元親は姿勢を貫いた。

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⑦ この時、土佐の人々はみな“天下の夢”を見ていた。

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「現代語訳 土佐物語━四国の勇士の戦国記━」中島重勝 妙訳(南の風社刊)より 画:マツモトナツミ

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