Posted on 2013.12.24

家業を継いだあの人 せがれ No.5

こうちファーム代表 森田修平さん先祖代々の畑から
文旦を発信したい

iPhoneを片手に文旦の成長を見守る若者がいる。
ITベンチャーから、文旦畑へ。新しい感覚で畑を耕している。


こだわりの文旦

 「おいしい文旦は、丸っこくて、キズが一つもない。お饅頭みたいな形のものがいいですね。糖度が11度以上あれば、酸味も甘さもちょうどいい」。地下足袋を履いた足で山の斜面をぐっと踏ん張り、森田修平さん(33)は文旦を一つひとつ丁寧に見ていく。「店で買った文旦は、2〜3日暖房の入った室内に置いて香りを楽しむと、さらに熟して甘くなるんですよ」。幸せそうな笑顔がこぼれる。  

 土佐市は土佐文旦発祥の地と言われ、県内最大の生産量を誇る。森田さんの畑がある神谷(こうだに)地区は、南向きの日当りのいい斜面が広がり、ハウスではなく露地で文旦を栽培する農家が多い。夏ごろ実った緑色の文旦を樹の上でオレンジ色に熟すまで待ち、年末に収穫する。  
 森田さんの文旦栽培の特徴は、土づくりと貯蔵方法だ。  

 「土に与えるのは鶏の糞などの有機肥料。文旦の根が傷み味が悪くなるので、除草剤は使いません」。この辺りは石灰質の土壌で文旦栽培に適していると言われているが、実際に土のphを測り、マグネシウムやカルシウムなどの入った肥料で弱酸性に調整する。
  
 収穫した後、畑の平らな場所に約1〜2m四方の柵を立て、藁(わら)を敷いて文旦を敷き詰め、約一か月半寝かす。「お日様が当たるところに寝かすので、藁の中は蒸し風呂状態。剥ぐってみると、いい感じに文旦が汗をかいてる」。樹の上で一度熟した文旦を、藁の中でもう一度追熟させる。そうすると、酸が抜けて、まろやかになるのだ。

畑という財産


 森田さんはこの畑を継いで五代目。かつては温州みかんを栽培していたが、昭和20年代に祖父が文旦に切り替え、祖母と2人で苗木を植えて増やしてきた。柑橘栽培に欠かせない、日当たりと水はけを求めて先祖が切り拓いた畑は約1ha。約500本の文旦の樹があり、1本に90〜100個の実がつくよう、摘果や草刈りなど世話をする。「明治の車も機械もない時代、こんな急な山を切り拓いて遺してくれた畑は、なによりの財産」。歩いて登れない斜面は、祖父がつけたモノレールで登っていく。
 
 文旦栽培のこだわりは祖父ゆずり。手間暇かけることをいとわない。時に近所の文旦農家と世間話をし、生育状況などを共有する。沢の音が清々しい文旦畑で、毎日11時間ほど過ごす。

  森田さんは神谷で生まれ育った。「サザエさん一家みたいに、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんと、僕と妹が一つ屋根の下に住んでいました」。両親は共働きだったので、小学校から帰った後、祖父の仕事を手伝うこともあった。「ちょうど春頃は文旦の受粉の季節。タンポポの綿毛のような道具に花粉を取り、ポンポンと雌しべにつけて畑を歩く。最初は楽しいけどすぐ飽きて遊びに行っていました」。

都会のスピード感

 高校を卒業し、東京の大学に進学した。「羽田空港からモノレールで山の手線に出ると高層ビルばっかり。これが東京かあ。すげえ!」。渋谷や原宿、下北、新宿……、テレビに映っているところは全部行った。  

 卒業した2003年は就職氷河期。公務員やサラリーマンではない「起業」という選択肢が注目されていた。〝やりがいのある仕事〟に魅かれ、働く母親向けのポータルサイトを運営する企業に入社した。  

 インターネット広告の営業、新商品開発のためのアンケート提案、プロモーションやマーケティングを経験した。朝9時には会社に着いて、0時の終電で家に帰る生活。月に2、3度は終電を逃して会社の寝袋で寝る。「ボスは厳しい女社長で、新人だからといって容赦しない。自分で起業するような気持ちで仕事をしなさい、という考え。ストレス耐性も、ストレス発散も、すごく身に付きました」。
 
 ある時、社長に「森田君は起業したら何やりたいの」と問われ、咄嗟(とっさ)に「実家の文旦のネット通販とかやってみたいですね」と返した。50歳、60歳になったら高知に帰ろうか、というくらいの感覚だった。

帰郷で起業


 東京で忙しい日々を送っていた2010年9月。「おじいちゃんが倒れた」と母親から電話がかかった。末期のすい臓がんだった。高知に飛んで帰り、入院している祖父を見舞うと、「文旦畑を受け継いでほしい」と打ち明けられた。「文旦一色の人生だったおじいちゃん。畑に60年生の文旦の樹がある。すぐやるか、年をとってからやるか、悩みました。どうせやるなら30歳になった今のうち」。その年の12月、祖父は息を引き取った。
 
 高知に帰る準備をしていると、突然、中学時代の先輩から電話がかかった。「修平、帰ってくるがやろ。そしたら青年部な」。半強制的にJAの青年部に入ることになった。共に柔道で汗を流した先輩は、一足早くねぎ農家を継いでいた。JA土佐市北原地区の青年部の会に参加すると、小学校や中学校の先輩など懐かしい顔が多い。生姜、ねぎ、なし、花卉……栽培する作物は様々で、繁忙期は手伝いをし合うし、コンビニで会ったら、缶コーヒーを奢ってくれる。

 その頃、保育園からの幼馴染が、陶芸の工房を立ち上げた。「僕もがんばろう!と背中を押されました」。20代で起業した仲間の存在が、なによりの励みだった。

夢は広く

 祖母が書き記した農業日誌を見ながら文旦の栽培をする一方、農協と地元の産直市以外の取引先を開拓しようと営業をかけた。タウンページで青果店や百貨店を調べて電話をかけて、「土佐市で文旦農家やってる森田ですが……」と言うと、何も聞かずに「いりません」と、ガチャっと切られてしまう。これではいけないと屋号を考えた。  

 ゆくゆくは文旦以外も取り扱いたい。「果樹園」にこだわらず高知の野菜や果物、さらに観光名所やパワースポット、地域のいいところを耕して発信していこう! そんな思いを込めて「こうちファーム」と命名した。  

 文旦畑の様子や栽培の過程は毎日facebookで発信する。会ったことのない人から注文が入り、高知大丸とも取引が決まった。さらに高知生協の紹介で、はるばる青森に文旦が旅立った。「文旦の知名度はまだまだ低い。ローマ法王に米を贈って限界集落を救った御子原(みこはら)地区に続きたい」。地域の特性を活かし、こだわりを持って育てた品質の高い文旦が、地域のブランドになると確信している。  

 お風呂に入ってぼんやりしていると、他にもアイデアが思い浮かんでくる。「外国で穫れ、船の中で追熟させるアボカド、高知で作れんかな。オリゴ糖が豊富で、お腹を整えてくれるヤーコンも気になる。みんながやっている作物よりも、新しいものをやってみたい」。
 
 森田さんはいなかと都会の感覚をバランスよく持ち、高知の農業に新しい風を吹かせようとしている。



自分の農業日誌はパソコンで記録し、iPhoneで確認する。


台風で文旦の樹が倒れると、新しい苗を植える。たわわに実るまでに、約20年かかる。


太陽が降り注ぐ山の斜面に文旦畑がある。


藁にも安心安全を求め、自分で育てた稲を干して使う。


おじいちゃんが使っていた摘果バサミを愛用。


高知の長い夏が終わると、あっという間に冬がくる。日当りのいい山々に黄色の水玉模様が浮かびあがる。文旦は、高知県が全国一の出荷量を誇る柑橘類。手のひらよりも大きく、顔を近づけると爽やかな香りが広がる。


空白区切り


​(1)お店で購入する
高知大丸 東館地下1階のフルーツ・野菜の「九州屋」 2月中旬以降に販売予定です。

(2)インターネットで注文する
1月下旬くらいに予約受付をして、3月以降にお客様のもとにお届けします。

詳しくは…… こうちファームのHP http://www.kochifarm.com/


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