Posted on 2013.09.24

伝説探訪 Vol.2

二十日念仏(はつかねんぶつ)

梼原町越知面(おちめん)区には400年以上続く念仏踊りがある。
戦国末期に殺された村の領主の御霊を弔い、念仏を唱え、踊る


 ミンミンゼミの鳴き声に、鐘の音が響く。神官、僧侶、区長、七つの集落の代表がずらりと並び、境内の真ん中に大太鼓が鎮座する。カラフルな衣装のトビ太鼓、裃袴をつけた団扇役が、「ヤー」と声を上げて、定位置につく。「へんなーもーみぃ、どうばいっ」という声に、黒い鶏の羽根を頭に立て、長い馬毛を顔に垂らし、トビ太鼓が跳ねる。    踊り子は全て越知面区の男性。「年々高齢化していたが、今年は20代が2人。世代交代です」と区長の川上光章さん。
 初めてトビ太鼓を踊った山内孝信さん(25)は、「踊りの順序や、飛んだり跳ねたりするタイミングが難しかった。個別に何度も指導してもらったけど、全体練習をすると自分一人、違う動きをしていることもありました」と苦笑い。祭り当日は、かつてトビ太鼓を踊った父も見に来た。「衣装も、節も、踊りも昔のままで、この地域に根差しているんだと実感しました。先人から受け継いだ踊りを、引き継いでいきたい」。    
 準備や酒注ぎにまわる堂守を二十年以上続けている川上原弘さん(84)は、祭りの長老。「大変やからと、昭和30年代にお祭りをやめたことがあった。その後、赤痢が大流行りした。祭りを止めたせいじゃと言うて、復活させた」。  
 よさこい祭りが年々進化している一方、越知面区では、今も、400年前と同じような衣装を着て、念仏を唱えている。長左衛門の魔術が、時を超えて、人々に宿っているのかのように……。


 越知面領主の中越長左衛門は、一夜のうちに荒地を田畑にしたり、数時間で家を建てたりする魔術を心得ていた。これは村人を無意識のうちにこき使ったもので、騙されたと憤慨した村人たちは、長左衛門を殺害した。1597年7月20日のことだった。  
 3年後、津野山郷を治めていた領主・津野親忠が切腹し、津野家が途絶えると、津野山は不況不作、天変地異に見舞われた。特に越知面村は酷く、村人が次々と命を落とした。これは暗殺した中越長左衛門の崇りではないかと恐れ、墓を祀り、殺された7月20日に念仏を唱え踊るようになったという。
(参考:梼原町史・同町広報)

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非業の死を遂げた者が祟りをなし、疫病や災害をもたらすものを御霊と言います。津野山にも有名な風神鎮塚の中平善之進をはじめ、津野町芳生野の荒一や大古味太夫など無念の死を遂げ激しく祟った霊を各地で祀っています。高知市洞ヶ島に祀られている薫的和尚は土佐を代表する御霊のスーパースターです。何か災害が起きるとこれら御霊のせいにするのはもちろんですが、その強力な力が願い事もかなえてくれるというので、流行り神になることもあったようです。

高知県立歴史民俗資料館 梅野光興さん

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