Posted on 2013.09.24

家業を継いだあの人 せがれ No.4

森田ネーム代表 森田潤さん名機を操りネームを刻む

祖父の店を継いだ森田潤さん。「99%コンピューターミシン」と言われるミシン刺繍業界で、古風なミシンを操る。店の外にミシンを持ち出し、身近なものを宝物に変えている。


 高知市帯屋町の石畳の通りに、「おびさんマルシェ」の市が立つ。ネックレス、野菜、器、消しゴム判子……食とアートの蚤の市。  
 小学生の女の子とお母さんが黒いミシンのある店の前で足を止める。チェックや水玉や動物柄の中から、茶色の水玉の「移動ポケット」を選んだ。「名前は、あいです」とお母さん。店主は、女の子に「何色が好き? この生地には、このピンクはどう?」と声をかける。女の子がコクっとうなずくと、店主はミシンに糸をかけ、ダダ、ダダダダダダダダと「あ」を刺繍した。
 女の子は、じっと針の動きを見つめる。「い」の字を書き終わるまで、わずか数十秒。余分な糸を切って手渡すと、女の子は、はにかみながら、自分のポケットを受け取った。

老舗ネーム店


 高知市廿代町の小路に、森田ネームはある。店に一歩足を踏み入れると、黒いミシンがごろごろと何台も置かれている。これは針が左右に振れる刺繍用の「横ぶりミシン」。縫製用のミシンと違い、送りと押さえがない。皺にならないよう指先で生地をピンと伸ばして自在に刺繍するには、熟練の技が必要だ。森田潤さん(40)は、足元のペダルで速さと振り幅を調節し、立体感ある文字や模様を描く。
 昭和初期、高知県に初めて横ぶりミシンを持ち込んだのが潤さんの祖父だった。誂えの洋服店が数十軒あった帯屋町に近い廿代町で開業し、「腕一本で仕事を取ってきた」と潤さんは誇らしげ。スーツの裏地、制服や作業服の胸ポケットなど、洗っても消えないネーム刺繍は、洋服の普及と共に広がり、ネーム店が相次いで創業した。

名機との出あい


 「なにこれ、かっこいい」。刺繍業界の偵察にと訪れた大阪のミシンショーで潤さんは、職人が操るアメリカ生まれの黒いミシンに釘付けになった。「見た目も、ガチャガチャした音も。完全に心を奪われました。会場にいたミシン屋さんに聞いたんです、このSINGERのミシン、どこで買えますかって」。中古品が見つかり購入したものの、うまくコントロールできず、倉庫に眠らせていた。
 しばらく経ち、柔道着の名入れが舞い込んできた。祖父から譲り受けたJUKIの横ぶりミシンは、分厚い生地に針が通らず、何度も折れる。その時、黒いミシンのことをふと思い出した。「ひっぱりだしたら、厚物の生地にすんなり名前が入る。じゃじゃ馬やけど、ちゃんと使いこなしたい」。
 祖父が晩年使っていたJUKIは音も静かで、縫いあがりもきれい。「こっちで作業したら、しゃっしゃ、しゃっしゃ仕事が進むんですけどね。でも、あえてSINGERを踏む」。音に、振動に比例して、不思議とテンションがあがっていく。
 SINGERの横ぶりミシンは約80年前のもので、今は生産されておらず、修理できる人は少ない。「思いっきり踏むため、全国の中古品を探してストックしてるんです」。黒いミシンとの付き合いは10年になる。

祖父から受け継ぐ


店の前で、おじいちゃんと。唯一のツーショット。

 潤さんは、中学生の時、ネーム店を継ぐと宣言した。「おじいちゃんが喜んで、〝わしの孫が継ぐがやと〟と、まわりの人に言いふらしたそうです」。店の隣で化粧品販売店を営む父は、「人と話ができる、商売の道に進みたい」と継がなかった。「でも僕は、おじいちゃんみたいに黙々と作業する仕事がしたかった。人と話するのも得意じゃなかったし」。
 大学を卒業した22歳の春、祖父の下で働きはじめた。休みなくミシンを踏む祖父を手伝い、仕事の合間にミシンの練習をした。「おじいちゃんは、まさにいごっそう。孫だからといって教えてはくれない」。練習して上手にできたものを見せても、よく見もせず「上等よえ」の一言。もっと褒めてほしいと悶々としていた。
 入社して4年、祖父が他界した。潤さんはお客さんに納品した経験がほとんどなく、難しい字に当たると、嫌々ミシンを踏んでいた。「たとえば〝藤〟とか〝久〟とか、バランスがとりにくい。お客さんも下手くそやなって思ったでしょうね」。店から一歩も出ず、ただひたすら仕事を待つ日々。「ぼーっとして、来た仕事だけ受ける。曇った目をしてたと思います」。
 32歳の春、近所のネーム店の主人が亡くなった。入学シーズンを控え、スポーツ店の店員が血相を変えて駆け込んできた。「ネーム入れ、千枚、お願い!」。動悸がした。それでも、納期に間に合うよう、徹夜して必死で名前を入れた。「なんのこれしき、って自分に言い聞かせて」。次第に学校関係の仕事が増え、コンピューターミシンを購入した。息子が生まれ、これからの生活を考えた末の答えだった。
 校章やロゴなど、忠実さを要求されるものはコンピューターで、一人ひとりの名前は横ぶりミシンで入れる。春先の数週間は、店の中に体操服が溢れ、1日500枚のペースで名前を入れ続ける。「手作業のあたたかさは、コンピューターには出せない。きれいに揃ってなくて、糸目がぎこちなくても、そこが人間らしいところ。最後の〝横ぶり職人〟になっても、辞めずに続けていると思います」。  祖父が亡くなってから下降の一途をたどっていた売上は、少しずつ回復していった。

ミシンを街に持ち出して

 35歳の夏、転機が訪れた。友人に誘われ、初めておびさんマルシェに出店したのだ。SINGERという相棒ができ、手仕事の大事さに立ち返ると、前に飛び出そうという気持ちが自然と湧いてきた。
 道行く人を呼び止め、名前を聞いてワッペンに刺繍して、手渡した。好きな食べ物や動物のマークと一緒に名前を入れると、お客さんが大事そうに持って帰ってくれる。出店を重ねるうちに、〝ライブ刺繍〟と評判になり、何度も足を運んでくれるお客さんが増えた。
 名前を入れて販売する商品は、安物のタオルやTシャツから、縫製のしっかりしたハンドメイドの日用品に代わっていった。「がんばって技術を覚えた分、安く使われたくないと思う職人気質はおじいちゃんと同じ。でも、〝ありがとうございます〟っていう姿勢も大事。だからニュータイプの職人を目指すんです」。

 小気味よいミシンの音と共に、一文字ずつ自分の名前が刻まれると、それは宝物になる。若き職人は、この世に一つの「ネーム」を刻み、ものを大切にする気持ちを縫い付けている。

【とさぶしMAP】森田ネーム

  • share
  • tweet

Tag

トップページへ