Posted on 2013.06.24

伝説探訪 Vol.1

わら馬

七月六日、須崎市では家の前や庭に綱を渡して、七夕飾りをする。
短冊の隣には、わらで編んだ馬がぶらさがっている。
七夕と言えば、おりひめ(織女)とひこぼし(牽牛)が天の川を渡って会う物語。
ひこぼしが飼っているのは牛だったと記憶していたが、どうして「馬」を飾るのだろうか。


 6月中旬、須崎小学校の6年生がおじいさん、おばあさんを囲んでいる。「昔は自分でわらじを編んで学校へ行きよった」というおじいさんの横で、子どもたちはわらを持って悪戦苦闘。手取り足取り教えられ、ようやく馬の形になってきた。

 わら馬づくりの行事を企画する丸共醤油の竹中佳生子さん(34)。6年前、娘が通う保育園で昔ながらの笹飾りに出あった。
「私の記憶に残っている七夕飾りは短冊や折り紙くらい。保育園で綱に吊るされたナスやキュウリが衝撃で、〝なんだろう〟と興味が湧きました」。園長先生に話を聞くと、昔は里芋の葉っぱに朝露をためて墨をすって字を書いたとか、和紙にお米をくるんで飾ったとか、初めて聞くことばかり。「これはおもしろい!と、話を聞いていたところ、数年後にわら馬に行きあたったんです」。

 竹中さんはわら馬に魅了され、聞き込みをはじめた。「多ノ郷という地区では牡馬と牝馬を飾り、疫病が流行る夏の時期に病気が入ってこないように集落の境界に張り巡らせたらしい。別の地区にも行ってみましょうか」。誘われるまま、竹中さんとわら馬のつくり手を訪ねることになった。


須崎市の七夕。家の近くの川に飾る。


祠に供えられている卵

 須崎市街地から新庄川の上流へ車を15分ほど走らせる。須崎市上分の小松喜代馬さん(86)は、七夕の前日になると、玄関の両脇に笹竹を取り付け、願いごとを書いた短冊をさげる。その間に綱を渡し、ナス、キュウリ、トマト、キビ、枝豆などその時期にとれる野菜や稲穂を吊るし、わらでつくった馬を飾る。「旧暦でやりよった時はホオズキを吊るしよった。今は手に入らんき、道の駅に言うて取り寄せてもらいゆう」。毎年、地区の老人会「清流クラブ」の仲間と保育園や小学校を訪ね、子どもたちと一緒にわら馬をつくったり、七夕飾りをする活動を続けている。

 なぜ七夕に馬の飾り付け?「この集落では馬だけやのうて、牛も飾る。頭が上を向いちゅうがは馬、下を向いたがは牛。ぼくらの子どものころは機械がのうて、田んぼを耕すのは牛や馬だった。どこの集落にも亡くなった牛馬を祀るお宮があったわけやからね」。

 そういえば、喜代馬さんの名前にも「馬」という字が使われている。「ほんで、父の名前は、牛松。ええ男やったそうな」。まさか、と一瞬耳を疑った。名前に使うほど、先祖代々、牛や馬を大切にしたということだろうか。牛馬が耕運機に変わっても、農耕生活を支えてくれた動物に感謝する気持ちは変わらない。
 わら馬には、他にも神への感謝のあらわれ、先祖や七夕様の乗り物などという説がある。込めた思いは違えど、わら馬を残そうとする人がいることに違いはない。家族の健康や幸せを願い、今年もわら馬が飾られる。


その名の通り、わらで馬を形づくったもの。高知県内では、新荘川流域、仁淀川流域、物部川流域の山間部でつくられている。わらを糸で巻いたシャープな馬、たてがみや尾のボリュームのある馬など、地域によって少し異なる。


100m以上の綱を谷に渡す越知町桐見川の七夕

せん


高知県内の七夕飾りを研究している高知県立歴史民俗資料館の梅野光興さん(50)は、「七夕は、古代に中国から伝わった行事です。もともとは学問や裁縫の上達を星に祈る都の行事でしたが、庶民に広がると、暮らしにあわせて変化したり、新しい要素が付け加わりました。わら馬もそのひとつでしょう」と言う。「高知県の七夕飾りに川の上や水辺に綱を張る所が多いのが気になります。馬を水中に引き込む河童の伝説が日本各地にありますが、馬は水神のお気に入りのようです。わら馬は水神に対するサービスだったのかもしれませんね」。

写真提供:高知県立歴史民俗資料館(須崎市と越知町の七夕写真)

あき

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