Posted on 2013.06.24

家業を継いだあの人 せがーる No.3

丸共味噌醤油醸造 竹中佳生子さん町に「共」の名が残り
人の輪がうまれる

およそ百年前、須崎市の港町では地元の人が集まって醤油屋をつくり、店へ家庭へ届けてきた。家業を継ぎ、味を継ぐことで、次世代の人のつながりが生まれている。


 須崎市の近海は、豊かな漁場に恵まれている。古くから湾を回遊する魚を誘い込む大敷網漁やカツオやマグロの一本釣り漁が盛んだった。今でもたくさんの小舟が漁に出て、近海ものにおいては高知県で最多と言われる約200種類の魚が魚市場に揚がる。鮮魚店だけではなく、干物やかまぼこなど加工品を扱う店、さらに居酒屋や旅館などができて、魚を中心に町が栄えてきた。  
漁港の目と鼻の先にある須崎市中町のお大師通りもその一つ。大正時代に地元の名士が集まり始めた丸共醤油醸造場が蔵を構える。新鮮なカツオに合う濃口のさしみ醤油、タイなどの白身魚に合う甘口の醤油など、年に1升瓶4万本を生産し、地域に愛されている。



 四代目女将の竹中佳生子さんは、この町の出身。しかし、醤油屋になるとは思ってもみなかった。佳生子さんの父は網屋で、漁網を仕立てて漁師に販売している。マルキョー醤油は祖父が会社組織にし、親戚夫婦が経営していた。「子どもの頃は、蔵に入ったらいかんと言われて育ったので、醤油屋は身近ではなかったがです」。  
 佳生子さんが高校生の頃、マルキョー醤油は存続の危機に直面した。工場長や経営陣が亡くなり、製造も販売も先細り。見かねた佳生子さんの父が醤油屋の看板を降ろすと決めて、お世話になったお客さんに挨拶に回った。「うちは三代このお醤油使いゆう」「やめられたら困る」。地元の人から懇願され、醤油屋を続けようと踏み切った。「父は醤油の造り方も売り方も知らん。母は反対して家庭崩壊寸前でした」。佳生子さんはというと、海外でホームステイした経験が刺激になり、英語を学んで外国で働くという目標を決め、東京の短大に進学し地元を離れた。
 
 短大では英語学を専攻し、趣味は海外旅行。南北問題とアフリカに興味を持ち、大学に編入した。「アフリカって本当に貧しいのか?」と問いかける先生のゼミに入り、10日間、ガーナでフィールドワークをした。電気も水道も整備されていない農村で、子どもたちはボール一つで遊びまわっている。「自ら楽しさを生み出せる人と、物が溢れる都会に暮らす自分。同じ時代に生きているのに……と、ショックを受けました」。価値観がガラっと変わった。卒業したら、青年海外協力隊に応募しようと決意し、お金を貯めようとアルバイトを探した。「偶然決まったバイト先は横浜の地ビールの会社でした。そしたら仕事がおもしろくて。ビール造りのノウハウを学んでアフリカへ行こう!」。  
 そのまま地ビール会社に就職し、未来の夫となる栄嗣さんと出会った。製造も事務も接客も求められる職場で、決して「無理」「できない」を言わず挑戦し続ける栄嗣さんに魅かれた。「私はすっごい好きなのに、相手にしてくれん」。いい飲み友達止まりだった。その頃、兄が網屋を継ぐことが決まり、父からは「ビールらやらんと、醤油をやらないかん」と電話がかかる。彼と一緒に須崎に帰りたいという気持ちがよぎった。「賭けで『あたし実家で醤油屋やろうと思うがよね』って言うたんです。そしたら『そうしいや、須崎に帰りや』って。玉砕でした」。


 やむなく一人で須崎に戻って醤油屋を手伝いはじめた佳生子さん。栄嗣さんに電話で近況を伝えるうちに遠距離恋愛がはじまり、娘を授かり結婚した。土佐清水市出身の栄嗣さんは須崎での暮らしに馴染んできていたが、心はここにないような気がしていた。「彼はもともと口数の少ない人。ぷわーっとたばこをふかして遠くを見ている姿を見たら、どこかへ行ってしまいそうだった」。
 夫婦で醤油づくりをして3年目の2007年、桜が咲き始めた頃だった。「突然、彼が私の父に切り出したんです。『ゆくゆく、ではなくて、今から社長としてやりたい』」。まだ早いと止められたが、責任を持ってやりたいという栄嗣さんの決意は揺るぎなかった。網屋の中にあった事務所をお大師通りの工場の隣に移し、6月には丸共醤油の代表になった。栄嗣さんの須崎の町に骨を埋めるという宣言に、「私も女将としてやっていくんだわ」と、佳生子さんの覚悟も固まった。  

 それから商店街のまち歩きイベントを手伝ったり、須崎市の文化財保護委員をしたりと、佳生子さんの活動の幅が広がっていった。  
 「今日は須女のメンバーとランチ会ながです」と佳生子さんが向かったのは須崎市内のパン屋さん。フリーのデザイナーや焼鳥屋さん、農業関係、ギャラリー、地域おこし協力隊と、メンバーは須崎の女性。みんな同世代で、ブログがきっかけで仲良くなり、一緒に町のことを考えるようになった。  
 「最初は、醤油以外の仕事をする後ろめたさがあったけど、『佳生子のコミュニケーション力をもっと発揮したら』と彼も背中を押してくれるんです」。町のためになることには臆することなく飛び込む佳生子さんは、須崎の町の女将さんのようでもある。

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