Posted on 2018.03.24

家業を継いだあの人 せがれ No.22

植木屋  高橋 伸昌さん 木と暮らす喜びを伝えたい

先祖や家族が植えてくれた木。
幼い頃の思い出が詰まっている庭。
そこに住む人が変わっても、庭は代々引き継がれ、木と暮らす生活は続いていく。

植木屋  高橋 伸昌さん

 艶(つや)のある緑の葉がピンと天を向くマツ、光輝く葉と陰影のある枝振りのコントラストが美しいマキ。高橋伸昌さん(35)は、木の時間にじっくり向き合い、手入れをする。「植木屋」の屋号を掲げて16年。個人宅の庭の施工、剪定(せんてい)や管理などを引き受けている。

高知の庭木職人


高橋さんが手入れをするウバメガシの仕立て木。刈り込んだり透かしたりせず、木の成長に合わせて太らせることで、栄養が全体に行き渡り、暴れていた枝を落ちつかせている。

 森林率84%を誇る高知県。自然が身近にあるからだろうか、他県に比べて観光名所となるような名園はあまりなく、伝統を受け継ぐ造園家もほとんどいない。南国市左右山(そやま)地区には戦前から苗木や植木を育てて街路市などで販売する生産者が集まり、植木の産地として知られた。庭木の手入れは5〜8月の夏刈りと、10〜12月の冬刈りの年2回。季節の仕事として、兼業で植木の手入れを請け負うお百姓さんも多かった。基本的な形はあるものの、枝の伸ばし方や棚の作り方、形などは職人それぞれが腕を振るって表現した。
 戦後、家を持つことがステータスとなり、マツやカシなどを年月かけて形造った「仕立て木」を好んで庭に植える人が多くなり、高知では専業の造園家や一人親方と呼ばれる職人が増えていった。昭和50年代頃には、室戸市や土佐清水市の山中に自生するウバメガシを採取し畑で庭木に仕立てることも増えた。職人が造る樹形のよさから高知のウバメガシとして評判となり、関西圏などにも運ばれた。最近では、住宅の洋風化に伴い、常緑樹による仕立て木よりも自然樹形のまま植えつけしてあまり刈り込まないスタイルが好まれるようになり、モミジなどの落葉樹を多用する作風が増えてきている。

 

祖父の姿に憧れて

 南国市で生まれ育った高橋さん。夏休みや春休みは父の故郷の土佐山田町平山へ遊びに行った。山や川へ入って探検したり、きれいなカラスウリを採ったり。体を動かすことが好きだったが、ケガをすると血が止まりにくくなる血友病のせいで、成長期に足首が内出血して腫れ、痛くて歩けないことも。両親にはスポーツを制限され、
医者には体を使う仕事はできないと言われた。「人に決められたくない」と反発し、学校は休みがちになり、友達と遊んで過ごしていた。


祖父の大野義一さん(92)と高橋さん。「昔は厳しいおじいちゃんだったけど、今はなんでも話せる一番の親友」。

 18歳で結婚。家族を養うため解体工事の仕事に就くも、1年たりとも続かない。「こんな自分にできる仕事はあるのか」。その時ふと思い浮かんだのは、木の世話をする祖父の姿。母方の祖父は農業をしたり農機具の会社で勤めたりしながら自宅の植木の世話をするのが好きで、その腕と誠実な人柄を買われて知り合いの庭の剪定を受けていた。
 「植木やらせてくれんろうか」。頼み込んで、祖父の仕事について行く日々が始まった。「この木、刈り込んじょけ」。祖父は初っ端(しょっぱな)から木を触らせ、高橋さんは見よう見まねで枝葉を刈り込む。口で説かれたことはないし、手取り足取り教えられたこともない。たとえ体調が悪くても這ってでも現場へ行き、疲れていても帰宅後に畑仕事をする祖父の背中が脳裏に焼きついている。徐々に仕事を任せられ、高齢の祖父は一緒に現場へ行くことがかなわなくなり、2002年の春、独立した。

 

生き物相手の仕事

 祖父から10軒ほどの庭を引き継いだ。従う人もなくなり、改めて庭を見回してみると、どの木も昔ながらの同じ形に切り込まれていることに気がついた。その形を維持しようと、丸いものは丸く、毎度同じ形に刈り込む。しかし徐々に形がいびつになり、伸びが早い枝は刈り込む頻度が増え、木がちびていく。「なんか違う」と感じるもの為(な)す術(すべ)もない。
 22歳の春、離婚。「昨日まであたりまえにあったもんが、突然なくなる。泣いて動きたくなくても仕事には行かないかん」。木の輪郭を気にしすぎて強く伸びる枝を切ると、より一層暴れだす。幹や枝など見える部分ばかりに気を取られていると、根腐れを起こす。一度弱ってしまった木を元に戻すのには何年もかかる。木に振り回される毎日だった。
 「この木はおじいちゃんが植えてね」「あの木は子どもの時によく登った」。仕事の合間に、お茶を出してくれたお施主さんが思い出話をしてくれる。台風などで枝が折れたり病気になったりしても、目をかけられ大事にされている木は少しずつ回復していく。一方、関心をもたれていない木は手をかけても不思議とよくならない。「いらんって言われて、淋しそうな顔しちゅう」。木も人も、真摯(しんし)に向き合わないと遠ざかっていく。「自分は家族にちゃんと向き合っちょったろうか


高橋さんが手入れをする南国市の庭。写真右のゴヨウマツは50年前と比べて大きく成長し、庭の雰囲気も変わっている。


 

木の声を聞く


木の輪郭を作るように刈り込むのではなく、1本1本の枝や葉を整えることで、葉を切らずに形づくる。葉が陽射しを遮るところは枯れてしまうので、適度に葉や枝を透かし、木のいきいきとした姿を見せる。写真上はイヌマキ。

 「この木(こ)ら、※こじめられちゅう」。10年ほど前のこと、頼まれた南国市のある庭を見て息をのんだ。家の先代が50年くらい前に植えたイヌマキやクロガネモチ、ウバメガシが押さえ付けられ縮こまっている。クロマツは、台風が塩を含んだ雨を降らせた影響からか赤茶けて枯れかかり、お施主さんも「もう切ったほうがいいろうか」と不安げ。「さて、どうしたもんか……」。マツの枝を引き寄せよく見ると、光を追って伸びようとしている芽があった。芽の出方を観察し、葉や枝を触ってどこを切るか選択を迫られたその時——、「まだ生きたい」。木の声が聞こえた気がした。「生きたい言いゆう。人間と一緒で、木は生き物なんや」。当たり前のことに気づいた。

※こじめる:縮こまる

 

 自らが施したことの結果は、木の成長のペースでしか見えない。右へ伸ばすのか、左へ伸ばすのか、すぐに決めずに、木と話して翌年決めるという判断も組み合わせ、最後は木に選ばせる。枝振りがきれいに見えるように、傷を丁寧に取り除き、細かい皮を手でなでて除き、化粧を施す。「僕よりも遙かに前から生きてきた木と、人の時間の流れ方は違う。どれだけの時間を※しゅますかで、木の個性が引き立ってくる」。ガチガチに固まっていた木は少しずつほぐれ、解放されていく。
 庭の変化に気づいたお施主さんの表情が変わった。「うちの木、こんなになるがやぁ」。庭全体の雰囲気が整い、近所の人も「おまんち、きれいになっちゅうな」と立ち止まる。高橋さんへの相談も舞い込み始めた。

※しゅます:染み込ます


400年ほど前に作庭されたと伝わる高知市の「加尾の庭」。4年ほど前から関わり、シンボルツリーのイチョウの剪定や、台風で折れた木の手当て、池の修繕から草引きまで、仕事は多岐にわたる。

 

木が仲間を呼ぶ


大阪の田中雅之さん(左)と京都の亀山雄飛さん(右)。年に何度も高橋さんの現場の助っ人にやってきたり、飲み会をしたりしている。

 「こんな木、見たことない」。高橋さんがInstagramで投稿した木の写真を見て、県外から植木職人が高知にやってきた。「木と木の濃淡、枝葉の透かし方、庭全体のバランスが抜群。こんな仕事ができるお施主さんとの信頼関係もすごい」。木を大事にしたい、木を助けたいという気持ちが通じて意気投合し、お互いの現場を行き来する仲になった。県外の植木職人とのネットワークが広がり、剪定技術や道具の使い方など、経験の交流が始まった。
 「そろそろ植え替えしちゃりたい」と言う高橋さんの元に、京都と大阪の植木職人が助っ人に駆けつけた。裏庭に植えられていた樹齢30年ほどのマツを、水を含んだ根元を乾かさないように厚めに土を残して鉢巻きし、数十メートル移動する。重さはおよそ200㎏。「一人では絶対ようせんこと。どうしてもやりたいとつぶやいたら2人が駆けつけてくれて」。大人3人が精一杯の力で持ち上げ、塀を越え、目当ての場所まで運ぶ。「こっちの顔を見せたいき」と、高橋さんはマツを四方から眺めて指示を出す。
 「家に緑があるというのは、ほんとうに幸せなこと。草木一本あるだけで、季節の移り変わりも、生きる強ささえも教えてくれる。傍におってくれるだけで、心が満たされる。木と人との中間で大事なことを伝えていく、そういう仕事をしていきたい」

 


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