Posted on 2017.09.19

特集

田舎ずしのルーツ

地域で採れる山の幸をネタにした、高知名物、田舎ずし。
そのルーツを辿ると、古いようで新しい、高知独特の食文化が見えてくる。

 

土佐に根付くおすし

 海岸部には魚のすし、山間部には塩サバを使った姿ずし。平野部の少ない高知県ではお米はごちそうだった。そして、高温多湿の気候にあって食材を保存し、味をつけ、食欲をそそるのに、酢は欠かせない。さらに※おきゃくが大好きで、なにかにつけて「すし」を作った。
 いつの頃からすしを作るようになったのだろうか。歴史の書を紐(ひも)解いてみると、土佐藩の武士、森勘左衛門(もりかんざえもん)が書き残した『森家日記』の寛政11年(1799年)の項に「4月7日 皿鉢 あじのすし /同8月17日 皿鉢 すし」と記されている。また、『皆山集(かいざんしゅう)』に「鮎鮓(あゆずし)ノ事……本山吉野(よしの)中の名産」とある。江戸時代、土佐の武家の食卓にすしの存在がすでにあった。
 明治期になり、武家の皿鉢を豪農が買い求め、庶民もおきゃくをするようになった。大正15年生まれの松﨑淳子さん(91)が、生まれ育った香長平野の昭和初期のおきゃくの様子を教えてくれた。
 地区の中に、田植えや冠婚葬祭を手伝う共同体「結(ゆい)」があり、料理を担当する「汁組(しるぐみ)」があった。そして必ず「器用料理人」と呼ばれる料理上手の男性がいて、おきゃくの目的と人数を聞いて、※生何枚、組み物何枚。※ほいたらサバが何枚、すし何本……」と企画し、市場に出向いて「刺身はこの魚が※どればぁ、海苔は何枚」と食材を手に入れ、汁組の女性たちと一緒に準備をした。いうなれば、器用料理人はおきゃくのプロデューサー。素人の男性料理人が祝い事の采配を振るった。


江戸時代の皿鉢料理(組み物)を再現(RKC調理製菓専門学校提供)


ミニ土佐弁講座  ※おきゃく:宴会のこと ※生:刺身の皿鉢 ※組み物:すしやおかずの皿鉢 
※ほいたら:それなら ※どればぁ:どれくらい 

 

男が作るごちそう


久保川地区の神祭のおきゃく(1964年)。三栄さんと父の三一(みいち)さんが皿鉢料理を作り、お客をもてなした。

 まるで木の葉のような形をした津野町葉山。新荘(しんじょう)川に注ぐ谷川沿いに石垣の棚田が広がっている。久保川地区の笹岡三栄(さえ)さん(79)は、明治生まれの父の姿を思い出す。
 「昔は男が料理をしたもんで、近所で冠婚葬祭があると言うたら※帆前垂(ほまえだ)れに包丁を2本くるんで、庭のハランを採って行ったこと」。祝い事も法事も神祭も、家でするのが当たり前。200〜300人ほどの集落に4、5人、「器用やり」と呼ばれる男性の料理人が指揮を執り、近所の人たちが手伝った。氏神様の神祭の後は、皿鉢を囲んで酒を飲み、また各家でも皿鉢を準備し、おきゃく三昧(ざんまい)。地区の男性たちは家々を飲み歩き、子どもたちはおみやげのすしを楽しみに待っていた。
 「私は二十歳ばぁからぎっちりついて行って、※てごしよったき、おすしはひとりでに覚えた」。白板(しらいた)昆布のすしに、海苔の巻きずし、いなりずし。魚の姿ずしは、定番のサバに、その時期に出回る魚を使い、婚礼などのお祝いにはアマダイを使う。冬は石垣の間に植えた大菜(おおな)を海苔の代わりに巻きずしに、時には※りぐって海苔と玉子の二重巻きに。食材が思うように手に入らない時も、山にあるものを上手に活かしてごちそうを作る、その術を父の傍らで学んだ。
 高度経済成長期に入ると共に、農村の作物は多様化し、外に働きに出る人も増える。久保川地区に女性の生活改善グループが発足し、三栄さんは衛生活動や、味噌やフキの佃煮など加工品作りに励んだ。そして昭和40年頃から、次第に地域の料理は男性から女性たちの手へと移っていった。
 三栄さんは落成式や敬老会に皿鉢料理やおすしを頼まれるようになり、近所の女性と2人で百枚の皿鉢を作ったこともあった。工夫を凝らす料理人の心意気を引き継ぎ、季節の味や山の幸を取り入れ、皿の上を彩る。おきゃくの席にごちそうを出すと、「うわぁ!」「※まっこと、えいねぇ」。感嘆の声に心は満たされ、「次は何をやっちゃろう?」と意欲が沸いた。

※帆前垂れ:厚い前掛け ※てご:手伝い ※りぐって:凝って、こだわって

 

すしを編集する


全国おにぎり百選に選ばれ、東京で展示された田舎ずし

 1986年、米の消費拡大を狙った「全国ふるさと おにぎり百選」に応募してみないかと誘われた。「なんにしようねぇ」「うちらは、すしより他ないねぇ」。三栄さんは、近所の女性たちと一緒に出品する「すし」を考えた。
 段々畑で作った自慢のコガネニシキを炊き、穀物酢と塩と砂糖で味をつけ、※ゆの酢を効かし、刻みショウガとゴマでアクセントをつける。山間部では定番のこんにゃく、タケノコ、シイタケのおすし。地味になりがちな山のすしを華やかにしようと、酢漬けにしたミョウガの赤で彩る。「青もほしいねぇ」と大菜の巻きずしに、リュウキュウの甘酢漬けを軽く絞って押しずしに。緑が目に爽やかで、口にするとシャキッとした歯ごたえも楽しく、評判は上々。ヒノキでこしらえた特製のもろぶたに並べて、四季の花やショウガの酢漬けをバラに見立て添える。古くから山にあるおすしを集めて再構成する様は、まるで編集者。
 「なんかえい名前をつけや」。出品するためには名前が必要。「困ったねぇ、山のもんばっかりで作るおすしやき」と、なにげなく「田舎ずし」とした。あれよあれよという間に入選し、高知県選抜として東京へ作りに行った様子がニュースで流れた。県内のイベントでパック売りをすると、「海を渡った田舎ずし」と紹介され大ヒット。
 三栄さんたちは田舎ずしの作り方をレシピにまとめ、配布した。すると翌年には、県内各地で次から次へと田舎ずしが現れた。以前から作られていたものの、地味さゆえ、陰に隠れていた山菜のおすしは、編集され、名付けられ、広く紹介されたことで、瞬く間に高知名物となり定着した。


田舎ずしを作る若葉会のメンバー。前列右から2人目が三栄さん。(1986年)


田舎ずしの実演販売。3日間で米1石を使った。(1989年)

※まっこと:ほんとうに、とても ※ゆの酢:ユズの絞り汁 

 

お皿の上の表現者


田舎ずしを販売するため誂えた絣の羽織姿の笹岡三栄さん

 「ごちそうと言えば、おすし。考えるのも作るのも手っ取り早い」。その後も三栄さんたちは、様々なおすしを考案してきた。
 桃の節句には、お内裏(だいり)様に三人官女などを玉ずしで表現し、いなりや玉子、リュウキュウ、ミョウガと、あらゆるおすしを盛り、山茶花(さざんか)や菱餅までおすしで作った「すし爛漫(らんまん)」を創作した。巨大な木の器に盛りつけられ、使ったお米は1升はくだらない。
 「盛りつけは、第一に色目よね。同じ色が重ならんように、梅の花と枝に、出たばっかりのフキノトウ。初夏は菖蒲(しょうぶ)、秋は菊、冬は山茶花。ビニールのハランは嫌でねえ」。家の庭にハランが植わっているのは、料理上手の証し。皿鉢やおすしには、必ず季節の草花とハランを添える。


ふるさとの味料理コンテストに出品した「すし爛漫」。審査員の宮川逸雄先生に評価された。(1991年)

 先人に習ったものをベースに、新しい考えや感覚を取り入れ、おすしは進化する。まさに器をキャンバスに、自由に思いを表現する。
料理とおもてなしが上手な三栄さん。春は茶を摘んで手揉みした新茶を楽しみ、夏は山から竹を切ってきて流しそうめん。自家製の小麦と空豆餡(そらまめあん)でおまんじゅうをこしらえ、たくさんの人が遊びにやってくる。桜はもちろん、菖蒲、紫陽花(あじさい)、藤の季節にもお花見を楽しむ。「食べ物でもなんでも、お金をかけるより手間をかけて工夫する。自分で作ったら気持ちがいいし、おいしいと言うてくれたら※うんとうれしい」。


田舎ずしはネタによって酢飯の量を調整する。


庭の秋明菊(シュウメイギク)を採る。


秋のあしらいを施した田舎ずし(2017年)


※うんと:とっても

 

遊び心で進化する


大高坂房士さんと、父・勇さん

 器用料理人から地域の味を受け継いだ女性たち。次第に過疎化し担い手が減り、女性たちが地域でごちそうを作る機会が減ると、仕出し屋が肩代わりするようになっていった。しかし今、その仕出し屋も冠婚葬祭が小規模化し、外食志向も高まり、出番は少なくなっている。
 高知市仁井田で仕出し屋を営む大高坂房士(のぶひと)さん(40)。県外の大学を卒業し、24歳で高知に帰って家業を手伝い始めた。まず任されたのは料理の準備や皿洗い、冠婚葬祭や宴会の皿鉢料理の配達や皿鉢の回収。お客さんの家に顔を出すうちに気心が通じ、料理の感想や要望を受けるようになった。10年ほど前、県外から親戚が集まるお盆に「高知らしい料理をふるまいたい」と注文が入った。
 どうしたものかと考えた時、父が目をつけたのがすしだった。通常の組み物に入る海苔巻きや玉子巻きは日本中どこでも食べられる普遍的なもの。ちょうどその頃、近所の農家に頼まれて父がミョウガのすしを商品化していて、変わり種のすしで田舎風な盛り合わせを作ってみようと考えた。
 山間部出身の女性に助言をもらって作ったタケノコのすしを皮切りに、地場のリュウキュウやシイタケのすし、焼きサバずしも加えて盛り合わせた。さらに「葉っぱ一枚で印象が変わる。田舎という名前なら、青いモミジ、赤く色づいた柿の葉、自然界のものを一緒に添えよう。遊び心が大事」。父は庭の草木を採ってきて、大胆なあしらいを施した。懐かしさと新鮮さが受け、「田舎寿司」は店の定番メニューに加わった。
 房士さんは調理専門学校で基本を学び、店で魚の処理や、すし酢の配合を担いながら、父から料理を習う。「地味で消えつつあった田舎寿司は、自分たち馴染みの薄い若い世代にはインパクトが大きかった。父のやってきたことを引き継いで、若い人にも好まれるように進化させたい」。房士さんは思いをめぐらす。

 人びとが考案し、編集し、プロデュースされてきた田舎ずし。料理をする人が多彩なアイデアを加えて表現でき、姿を変える自由があるからこそ、時代が変わっても喜ばれ、愛され続ける。


大高坂さんが作る田舎寿司

 

文化芸術の力で心豊かに暮らせる高知県を目指して2017年3月、高知県は文化芸術振興ビジョンを策定し文化芸術活動を支援しています。皿鉢料理やおすしなど食文化の継承もここに記されています。

 

 


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