Posted on 2013.03.24

ほろよい対談

西村 啓×宇賀 兄勉(居酒屋店主)

高知市中心部を流れる鏡川のほど近く。街の外れの路地にぼやっと店の灯がともる。
のれんをくぐり、木戸をあけると、左に小さい座敷、右にカウンターがのびる。
「宇賀さん、桂月入れて」。湯呑ほどの酒器になみなみと土佐酒が注がれる。

衝撃の出会い



——なまこちょうだい。

西村 はじめて来たのは10年ばあ前。はりまや橋近くの魚の棚商店街にあるカウンターだけの店。人に連れて行ってもろうて、こてんぱんに言われたがよね。
宇賀 雪が舞いゆう日やったね。Yシャツ一枚で店に入ってきた。「おれ、暑がりやき」って言うけど、社会常識がないわね。
西村 Yシャツは僕の意地の表れやったんよ。社長の息子なのに、会社に入ってもなんにもできん。冬でも背広もコートも着んで、自転車こいでがんばるのが、唯一自分を認められることやったが。その信念に対して「おまえアホか」って言われた。
宇賀 場所によってマナーが違うでしょ。料理屋でもファーストフードでもホテルでも……。
西村 そんなルール知らんかったんよ。飲み食いに来たら当然「自分の席」になると思いよった。けど宇賀さんが、がいなこと言うが。金は払うても、所詮人様の土俵やった。
宇賀 うれしいことは聞きましょう。でも悩みは聞かない。それが僕の仕事のマナーなんよ。当時のけいちゃんは、後継者になる心構えもないし、実績もないし、迷っている。でも最近は、背広を着るようになった……。

商品は育てるもの



宇賀 僕は包丁握って40年。まっしぐらよ。生まれた浦戸(高知市)は、田んぼも畑もない、貧しいところやった。仕事は、漁師か船乗りかかまぼこ屋か。市内の高校出て、京都で料理の修業をした。昔の料亭って、政治家が密談にくるような場所やった。話がまとまらんかったら、料理は全部捨てる。30になった時かな、これは自分のやりたいことやない、って気づいた。

——これ、食べてみて。いちごの黒酢がけ。

西村 僕はだいぶさまよった。高知に戻って「明日から営業やれ」って社長に言われた時は、一週間家出した。でも5年前に東京に営業に行き出した頃から、毎月一週間は行くと決めるがね。社員にアニメの商品のアイデア出してもらって、アポなしで飛び込んだ。
宇賀 料理も一緒よね。100考えて商品になるのは3つ。食品と商品の違いは利益がでるかどうか。店の名前、料理の組み合わせ、売価、味。いろんな要因があるわけでしょ。だから失敗して、打率をあげていく。

——桂月、おかわり。いや、やっぱりビールにして。

宇賀 僕のおばあさんはかまぼこ屋で、料理が上手で、200人前の皿鉢もつくれる。それが僕の原形なんよ。新鮮なものを見て、食べて、素地ができてきた。今でも毎朝、産直を歩いて目で確かめて新鮮な材料を仕入れて、メニューを書いて、お出ししゆう。
西村 印刷の機械は自主的には動かんきね。
宇賀 僕はこの両手だけで商売する。ベースは人間やき、限界がある。
西村 その限界に魅力があるがよ。点の強さやね。束になってもかなわんというか。お客さんから味の注文はないが? 薄くしてくれとか、量が多いとか。
宇賀 量はある。僕はどっさり出すき。けんど、味をこうしてと言われても、オールYESはない。なにかしら自分の考えを提案するでしょ。新しいお味を出していく。プロモーションして、育てていく。それはけいちゃんも一緒やろ。
西村 未経験のものが1割2割あるって大事やね。そこに挑戦してこそ、全体が豊かになるがよね。 


※がいな=乱暴な(P12)やしべる=いじめる、きついことを言う(P13)

 


宇賀 兄勉(うか よしかつ)
居酒屋店主
高知市内の高校を卒業して京都へ。料理人を目指し料亭で修業を積む。
今も、新鮮な食材を見極め、新しいメニューの考案にも熱心。


西村 啓(にしむら あきら)
西村謄写堂 専務
20代の頃から宇賀さんのお店に通いつめる。
料理の食べ方や注文する順番にこだわりあり。
(経歴は、せがれのページをチェック!)

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