Posted on 2013.03.24

家業を継いだあの人 せがれ No.2

西村謄写堂専務 西村啓(あきら)さん「刷る」から「仕掛ける」へ

紙に残し、紙で伝える——印刷はそれを支えてきた。
「謄写印刷」がまだ残る時代に創業した西村謄写堂。
スピード化、デジタル化が求められる業界において、西村啓は、その社名とともに、
手仕事にこだわり、キャラクター市場を開拓している。


 龍馬の生まれた町として知られる高知市上町。古い町並みに原色で描かれたキャラクターの旗が揺れる。観光客がふらっと事務所に入り、一筆箋やお守りを手に取り、買っていく。
 ワンピースやドラえもんなど、おなじみのキャラクターの文房具やお菓子を製造し、人気の漫画家や声優と手を組んでラジオドラマをも仕掛ける西村啓。創業76年、80人の社員を抱える印刷会社の三代目だ。
 15歳の時、どくれた。きっかけは、高校受験だった。好きな女の子と同じ私立高校に通いたい一心で猛勉強し、成績はうなぎ昇り。両親もびっくりして期待した。試験直前、不安が募り、プレッシャーに負けた。ショックを受けとめられず、親父のせいにした。
 公立の進学高に進んだが、学校に行かない、勉強もしない。突然、自転車で室戸岬に行ったり、家出して図書館の駐車場で寝泊まりしたり。3年間、親父とは一言も口をきかなかった。
 「すっごい心が重いわけ。そしたらなぜかフットワークが軽くなるがよ」。卒業してすぐ建設作業員になった。お金が貯まると、インドやバングラデシュを放浪した。帰国して東京で住み込みの仕事をしていた時、父が倒れた。しぶしぶ高知に戻り、少しずつ家業を手伝いはじめた。まだ20歳だった。営業になり、県内外を渡り歩く日々。しかし、まだどこか甘えがあった。
 転機は32歳の時に訪れた。300部のカタログからスタートしたお客さんが、介護需要の高まりとネットブームに乗って急成長。年間30万部を超し、会社史上最高の規模となった。父である社長が先導し、社員を増やし、設備も増やした。受注総額が2億円を超えようとしていたまさにその時、県外大手にもっていかれた。
 「20人辞めてもらわんと、会社が潰れる」。借金しても社員を辞めさせたくない社長と常務を前に、初めて自分の意見を主張した。この時から、社員に"鬼"と言われるほど厳しくなった。「大手とは無縁の世界に行こう」。一つの決意が生まれた。
 会社の窮地を経験した一年半後、エヴァンゲリオンの劇中のセリフを使ったラーメンが生まれた。アイデアをぶつけた東京の映画製作会社から発注があり、長年付き合いのある製麺会社から協力を得た。これを契機に、印刷物ではなく商品をつくり納めるようになった。それができたのは、会社が築きあげてきた強みがあったからだ。
 30年前に遡る。マンガの同人誌はまだ社会的に認知されていなかったが、たまたま印刷を持ち込んだ作家の要望に丁寧に応えたことが評判になり、県外からどんどん原稿が持ち込まれるようになった。同人誌には印刷所の名前を刷り込む慣例があったので、全国のマンガやアニメファンに「西村謄写堂」の名前が浸透していった。


 高知市神田の市道。車も人通りも増えた夕方、ふいに渋滞が起こる。11トントラックが5mほどの道幅ぎりぎりに車体を回して、事業所の前につけた。10m近いトラックの側面が開き、社員が400個ほどの段ボールを運んでいく。
 「新しい市場開拓が目的やない。僕の目指すのは社員100人。この規模にしてつぶれんために、成長する柱を探し続けていくだけよ」。自身を次郎長一家の親分に重ねる。印刷屋という「家業」をけん引する若きリーダーは、アナログな技にこだわり、面倒くさくて他がやらないことを、あえてやる。それは、印刷の領域を超えた新しいものづくりにつながっていく。根気のいる地味な作業だが、細やかな手仕事が活かされ、おばちゃんたちに笑顔があふれる。



※どくれる=いじける、すねる

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