Posted on 2017.06.24

特集

住を活かす

高知の気候にあった造り、地域で暮らしやすい間取り、風土に根ざし、時代に合わせて、人びとが住み続けてきた家。高知〝らしさ〟を残した古民家を、外から移ってきた人たちは、生活しやすく改修し、次代につなげようとしている。

 

里山の暮らしを体験する場に
 橋本果奈さん
室戸市吉良川町(むろとしきらがわちょう)



「台風銀座」と呼ばれるほど夏場は台風が多く襲来するため、家を囲む塀が高い。

 古くから木材の産地で、大正時代には土佐備長炭の生産地と輸出港として栄えた室戸市吉良川町。「土佐漆喰(しっくい)」の白壁の商家や蔵、風雨や台風から家を守る「水切り瓦」、河原石や浜石で造った外塀「石ぐろ」など、栄華を誇った時代の面影が家や町並みに残っている。
 国道から一本入った東の川沿いに、橋本果奈さん(24)が暮らす家がある。遍路道に面し、民宿にもなるようにと1968年に建てられた。その後、1986年に離れの風呂とトイレを壊して建て増しし、平屋と2階建てを組み合わせた広い家になった。玄関を上がると長い廊下、両手に洋室や和室が並び、2階には個室が2部屋ある。

 


主屋根の下に下屋(げや)が造られ、壁際の瓦(のし瓦)は漆喰で押さえ、水漏れを防いでいる。


玄関にも雨戸が付いて、内側から閉められるよう小窓がついている。

 


奥の和室は、地元の人に習っている三味線の練習をしたり、 近所の人が遊びに来ると宴会の場にもなる。

 果奈さんは大阪府で生まれ育った。住宅街の狭い土地に建てられた3階建ての家で、5畳半の子ども部屋に3姉妹の勉強机を並べていた。子どもの頃から動物が好きで、滋賀県立大学で環境生態学を専攻した。野生動物の保護活動の経験を積もうと休学。タイで飼育されたゾウを自然環境に戻すプログラムに参加した。費用は1か月半で25万円。世界各国から常に10人ほど滞在していて、タイの農村は知恵と労働力を得るだけでなく、収入にもなる。終わってみると、また帰りたくなるような現地の人との深い交流ができた。「ボランティアでしか成り立たないと思っていたけど、ビジネスとして環境を守ることができるんだ」。エコツアーの企画など環境活動で起業することが目標になった。まずは自然豊かな地域に入ろうと、卒業後、室戸市地域おこし協力隊として吉良川町日南(ひなた)地区に赴任した。

 



 はじめて訪れた室戸は、海と山が近く、外国のような雰囲気を感じた。暮らして驚いたのは、地区の男性の一言。「畑はスーパーマーケットやき」。食べたいものは畑で作り、裏山からは山菜も採れるし、栽培に必要な支柱や道具も調達する。そのうえ目の前の海で獲れた魚が食卓に載る。自然と人が共生する里山の暮らしそのものが、環境を守ることにつながると実感した。「里山の暮らしを体験するなら、滞在場所が必要だ!」。ゲストハウスとして使える場所を探していると、知り合いがこの家を紹介してくれた。  
 床や玄関の扉の改修、ガス湯沸かし器の導入など生活になくてはならない部分は、移住者向けの空き家改修補助金を活用。壁やキッチンは自らペンキを塗った。  エコツアーの研修を受けたり、ワークショップの企画を実施したり、さらに、個室の多い広い家を活用して「カウチサーフィン」も始めた。すでに県外からや外国人など10人以上が訪れ、室戸の風景を楽しんだり畑で野菜を収穫したりしている。近所の人たちが料理やお酒を下げてやってきて、土佐弁と外国語が飛び交う※おきゃくになることもある。「地域に暮らす人は減っても、外からやってきた人たちが手伝う仕組みができれば、里山の暮らしはずっと残っていく」。 

土佐弁講座  ※おきゃく:宴会のこと

 


橋本さんが住む家は、道沿いに平屋、その奥の2階建てが建て増しされた。古い家は玄関を入るとすぐ座敷があり、廊下はなかったので部屋をまたいで隣の部屋へ移動していた。民家に子ども部屋など個室が必要になった時代から、廊下が取り入れられようになった。

タイル貼りの玄関。


ベランダからはオーシャンビューが楽しめる。


風呂は薪で沸かすタイプ。シャワーが使えるように改修した。


 

 

自然と音が調和する
上野ユウタさん・志和樹果さん
大月町芳ノ沢(おおつきちょうよしのさわ)



 


海に面した大月町は、夏は台風の影響が強く、冬は雨が降った後など外に出ていられないほどの大風が吹く。そこで家を風から守るため山裾の谷あいに建てた。この谷あいのことを「たね(谷)」と呼ぶ。上野さんたちが暮らす家は「宮んたね」と呼ばれていた。

 宿毛湾からひと山越えた大月町芳ノ沢。緩やかな傾斜に沿って棚田が連なる。軽トラ1台がやっと通れるほどの畦道を数百メートル進むと、突き当たりに古い民家が見えてきた。
 畳敷の座敷にギターやオルガン、アコーディオンなど数々の楽器、ミキサーにアンプ、スピーカーがごろごろ置かれている。上野ユウタさん(30)はレコーディングエンジニアの顔も持ち、この座敷は録音スタジオにも変わる。スタジオというと、必要のない音を遮断し、反響を抑えるようにした無機質な空間だが、ここは古い民家。湿気対策や暑い夏を涼しく過ごす知恵として高知の古い家屋は床面が高いが、ここも土間から60㎝ほどある。「聞こえるのは鳥や虫の声だけ。静かな分、音をシャットアウトしなくていいし、木の柱、漆喰の壁、畳と高い床がほどよく音を吸収し、反響も少ない。実はスタジオにもってこいの場所だったんです」。


 四万十市出身の上野さんは、高校卒業後、ギターを抱えて上京した。ビル街と雑踏の東京で仲間を探したがうまくいかず、アパートに帰れば一人。孤独感に苛(さいな)まれた。25歳で地元に戻り、ライブハウスに出入りしていたところ、土佐清水市出身の志和樹果(みきか)さん(24)と出会った。中学を出て、日本全国やヨーロッパ17か国を回り弾き語りしていた彼女。意気投合し、共に音のある暮らしのできる場所を探し、2016年1月に越してきた。


しかないお守り

大きな窓があり開放的なキッチン。外側に造られたカウンターはカフェ風にも使える。仲間が訪ねて来た時は囲炉裏を囲んで酒を酌み交わす。

 ぐるりと森に囲まれ、近くに人家はない。思いっきり音を出しても歌っても、早朝でも深夜でも気兼ねない。2人で曲を作ったり演奏したり。オープニングイベントとして開いたライブには、県内外から仲間が集まり、高い座敷はステージに、テラスは客席になった。
 ある日、CDを作りたいと地元の音楽仲間がやってきた。上野さんは歌声や楽器の音をマイクで拾い、音を編集し、CDに納めた。じわじわと評判が立ち、地元だけでなく県外のアーティストからも、ここに滞在してレコーディングしたいと声がかかるようになった。「同じ演奏でもエンジニアによって全く違うものになる。ユウタくんらしい、やさしいけど芯のある音に仕上がるのかも」と樹果さんが目を細める。
 スタジオは、谷川俊太郎の詩から「二十億光年スタジオ」と名付けた。「ここは宇宙のような別世界なのかもしれない。現実や時間、しがらみから離れ、背負っているものも全て降ろして、心で会話し、自然体で表現できる場所」。自然と人、人と音が共鳴し、新たな調べが生まれている。

二十億光年スタジオへのお問い合わせは上野さんまで 090-6287-4013



 



トイレは移動式で穴が満タンになったら埋めて移動させる。


廃校になった小学校からもらってきた、木琴や鉄琴がたくさん。


囲炉裏の間の下には、野菜や食料を保存する地下室がある。


風呂は薪で沸かす五右衛門風呂。天気の良い日は、太陽熱パネルで沸かす。


元は土間の台所だった壁に棚を取りつけ食器棚にしている。

 

 

自然の循環の中で手仕事を活かす
富永夏子さん
仁淀川町狩山(によどがわちょうかりやま)


 


唐箕

この地域では各家で和紙生産をすることが多かったため、庭や土間が広くとられている。また、地元の材を使い、柱や梁も太めで、地元をよく知る大工が建てたことで、しっかりした造りになっている。

 江戸時代より紙業で栄えた旧池川町狩山。家の裏山に楮(こうぞ)や三椏(みつまた)を植え、各家で蒸し、障子(しょうじ)紙を漉(す)く。1960年頃まで「狩山障子」は上物として取り引きされた。
 「天気のいい日は縁(えん)がちょうどいい」。富永夏子さん(32)は、縁側に腰掛けて手織りに精を出す。奥の間には大小の機織り機が3台。タンスの引き出しを開けると、カラフルな糸や布があふれ出す。
 東京都出身の夏子さんは物心ついた頃から手芸が好きで、刺繍(ししゅう)をしたり、洋服やアクセサリーを作ったり。高校卒業後はイギリスの大学に留学し、家具や雑貨のデザインを学び、東京で働いた。転職の合間に、※WWOOFという制度を使って岐阜県の農村で数か月過ごした。自然の循環の中で衣食住に必要なものを作り出す暮らしに共感し、「いつかは田舎へ移ろう」という思いが芽生えた。

※WWOOF:ウーフのサイトを通じ、農場などを手伝う人(ウーファー)は力や経験を、受け入れる人(ホスト)は宿と食事を提供する仕組み。


ユズの種

台所のある土間は、糸や布を染める時も使う。


2階の窓際は読書にちょうどいい。(下)


奥の間は機織り部屋として使っている。

 数年ほど前、自室に敷くラグを探したが気に入るものが見つからず、「だったら自分で織ってみよう!」と手織りに挑戦。約2mの木材を2本、5㎜ごとに切り込みを入れて縦糸をセットできるようにした織り機を自作し、糸の通し方や色を変えて模様を出す。暇があればパソコンで方眼を作って模様をデザインし、手織りをした。
 東京でOLをしながら創作を続けていたが、新天地を探すことにした。「日当たりがよく広い家がいい。糸や布を染めるので土間は絶対。綿を育てる畑もほしい」。ライトバンを手に入れ、後部座席を寝床にし、甲信越から紀伊半島、四国をぐるっと回った。「稼ぎや貯金とかお金に縛られず、自然の中で、人と人の会話があるような土地」を探し2014年秋、仁淀川町の宿で短期バイトをした縁から空き家を紹介された。かつて和紙を漉いていたというこの家は、和室がいくつもあり、手頃な土間や畑もある。「ここに住もう!」。改修プランを考え、次の春に引っ越した。


機織りで作った布を使ったポーチ。


「オルタWOOD Design」のスツールにも使われた。


綿と種を分ける綿繰り機は近所の人から譲ってもらった。


カード織りで作ったバンド。

 


畑では綿を植え育てている。

 床が抜けていた1階の和室を改修し、奥の間を工房にした。麻糸、絹糸、毛糸など、異なる種類の糸を組み合わせて織り、年に何度か大判の手織りに挑戦する。「機織りも料理と同じ。自分が畑で育てた材料で作ってみたい」と、アカネ、トレニア、タマネギなど庭にあるものを使って糸や布を染める。綿の種を取り寄せ、苗を立てて植え、秋にはふわふわの綿が採れた。循環する暮らしをイメージし、「廻々(ねね)」という屋号をつけた。  
 週4日、近所のガソリンスタンドでアルバイトをし、生活費を稼ぐ。休みの日は、県内あちこちに出かけ、手仕事の仲間と交流。木の枝を使ったタペストリーや、カード織りのオリジナルの模様のバンドなど創作の幅が広がった。四万十の木工作家と意気投合し、新作のスツールに夏子さんが織ったバンドが使われることになった。「少しずつ、手仕事で生計を立てられるように」。
 

 


手漉きの和紙生産が盛んだった頃は、茶の間と土間に続いて建てられた「漉き屋」があった。漉き屋の隅に大釜があり、楮などを打って繊維をほぐす打ち場も設けられていた。傾斜のきつい土地では、斜面を利用して、家の半地下に紙を漉くための部屋「舟屋」のある家もあった。


石垣に面した物置きはひんやり。


農具入れの地下にはいもなどを保存したいもつぼがある。


2階の和室には大きな神棚。


東京から持ってきた自作の手織り機。

 

 

生活と仕事を自分らしく
服部雄一郎さん・麻子さん
香北町日ノ御子(かほくちょうひのみこ)


tanemaki ゆずシードオイル

玄関を入って左のカフェスペース。週1回のカフェの日以外は2人の仕事場となる。

 


畑ではニワトリを飼っている。子どもたちも一緒に世話をする。

 平家の落人伝説が色濃く残る香北町日ノ御子。町の中心部・美良布(びらふ)から川を挟んだ対岸に位置し、山のてっぺんまで石垣が続く。田畑だっただろう限られた土地に、日当たりのいい方向に向いた家が、香北町には多く見受けられる。
 服部雄一郎さん(40)が妻と3人の子どもたちと暮らす家は、石垣の上に建つ南西向きの横長の平屋。78年前に建てられた居住用の棟があり、離れの風呂トイレ、小屋など小さな棟が横に並んでいた。今は家の真ん中に玄関があり、左右に部屋が並んでいる。
 「自分たちが暮らす面積は小さくていい。だったら、家の半分を店にしてしまおう」。入って左の部屋にカフェの開業に必要な厨房を整備し、右の部屋は家族の住まいにした。
 カフェは4〜5人が囲めるテーブル席と縁側のソファ席で、押入れだったスペースに自身の蔵書を並べる。一方、家族の住まいは、6畳の洋室と4畳の和室、台所と浴室。学校から帰ってきた子どもたちは宿題をしたり、畑を駆け回ったりニワトリと遊んだり。家は狭くても遊び場は多い。



 

 共に神奈川県出身の服部さん夫妻がこの住まいに辿りつくまでにはいくつもの紆余曲折があった。雄一郎さんはスーツを着て満員電車で通勤する「会社員に変身する生活」に疑問を抱き、地方公務員に転身。ゴミの担当になり、ゼロウエイストという考え方に目から鱗(うろこ)が落ちた。麻子さんにも共感が広がり、ゴミは出るもの、分別もそこそこという暮らしから、エコな暮らしを目指すようになった。もっと専門的に環境を学ぼうと海外の大学院へ留学、NGOの仕事で2人が半年間暮らしたインドで人生観が変わった。
 しかし、移り住む度に、家も、友人も畑もリセットされた。「子どもたちが学校にあがる年になるね」「関係を積み上げる暮らしができる場所を探そうか」。共通の友人を頼って訪れた高知が気に入り、2016年の春、縁あって香北にやってきた。


納戸にしまってあった建具を友人にリメイクしてもらいカフェのドアにした。


神棚があった場所は、ミシンやギターを置いている。真っ白の壁を活かして、プロジェクターで映画を投影するのにもピッタリ。

 

  理想の暮らしの実践として、生ゴミはコンポストや鶏のエサに、紙やプラスチックなどどうしても出るゴミはリサイクルに回す。可燃ゴミは月に1リットルのガラス瓶1つ。部屋の掃除は茶殻とホウキで脱掃除機、ご飯はお鍋で炊いて脱炊飯器、太陽熱オーブンで煮込み料理も楽しむ。
 カフェはあえて週に一度だけにした。インドの国花・蓮に看板商品を組み合わせた「ロータスグラノーラ」が屋号。毎週水曜日にはブログやインスタグラムを見た人が訪れ、麻子さんのインド料理や雄一郎さんのお菓子を提供する。その他の日は、手作りのお菓子と地元の野菜のセレクト便の発送に加え、翻訳や文筆業もおこなう。厨房はお菓子などの加工場になり、テーブル席は仕事場にもなる。「ここは自分が自分らしくいられる場所なんです」。改修した古民家をベースに、新たな試みを積み上げている。


雄一郎さんが翻訳した書籍と、1か月分の可燃ゴミ。


押し入れだった所にワイン箱を置いて本棚に。

 


1939年、土間、茶の間、座敷の3間の母屋、風呂、トイレの離れが造られた。1981年、離れがあった場所に新しく台所、居間、風呂、トイレが増築された。服部さんは、旧母屋のスペースをカフェに、増築された部分を生活スペースにしている。風呂、トイレ、物置、隠居部屋など用途別に造られた小棟が一つの屋根の下に取り込まれて進化してきた様子がうかがえる。


 


プレハブを改装した小屋。床を張り替え、段ボールの繊維と消石灰を混ぜた「段ボール漆喰」(友人発案)を塗った。

 

【とさぶしMAP】ロータスグラノーラ

 


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