Posted on 2017.03.24

家業を継いだあの人 せがーる No.18

百々山(どどさん)東明院 善楽寺山主  島田 希保(きほ)さん 歌い寄り添うお坊さんに

四国八十八ヶ所霊場、第30番札所。
静かな境内から、清らかな声が聞こえてくる。

せがーる やまさき料理店 池本 自歩さん

 「もし困ったことが起こっても、御詠歌は人生の道しるべになるから思い出してね」。高知市一宮の善楽寺、島田希保さん(33)は高知県の札所で唯一の女性住職。お遍路さんをお迎えしたり、法事でお経を唱えたり、また、月に2回お寺で御詠歌を教える講も開いている。
 御詠歌とは仏教讃歌の一種で、西国三十三所や四国八十八ヶ所など諸国をお遍路する時に唱えられた巡礼歌から発生し、1000年以上唱えられている。「仏さまを褒め称える歌や、鎮魂曲もある。御詠歌は僧侶でなくてもお唱えできる仏教讃歌ですので、御法事の時、できる人がいたら一緒に※奉詠してもらったりします」。


善楽寺は、およそ1200年前、弘法大師空海が立ち寄り、百々山と名付け、四国第30番霊場と定められた。

 

のびのび育つ


21番太龍寺で、両親と弟と。 生まれた時に両親から「美希」と名付けられた。

 希保さんは、室戸市室戸岬町で生まれ育った。7歳年上の姉と2歳下の弟に挟まれた次女。山と海が目と鼻の先にある港町を、弟を引き連れて近所の男の子たちと駆け回り、ケンカもよくした。自他共に認める※やんちゃくれで、あだ名は、番長。一方、母から日本舞踊を習ったりエレクトーン教室に通うなど、表現することも大好きだった。
 父、信幸さんは第24番札所の最御崎寺に次男として生まれ、住職を継いだ兄を手伝っていた。「小さい私たちは神聖な場所に入ってはいけないので、覚えているのは仏さまを拝んでいる父の背中くらい」。日々お寺を訪ねるお遍路さんが往来し、近所の人たちもお天道様があがっているだけで「お大師さまのおかげ」と手を合わせる。知らず知らずのうちにお大師さまへの信仰心も育まれた。
 その頃、新しい住職を探していた第30番善楽寺に信幸さんが拝命されることになり、小学6年生の夏、家族で高知市に引っ越した。


土佐女子高校ダンス部時代の仲間と。(後列右)

 高知市では中高一貫の女子校へ入り、授業と部活の毎日。当時はダンス全盛期で、「安室奈美恵ちゃんを神とあがめていた」という希保さんは、高校では迷わずダンス部に入部した。バックダンサーのフリを練習し、文化祭や体育祭では選抜メンバーがアクロバットを取り入れたダンスを披露する。選抜には選ばれなかったが、とことん打ち込んだ。リズムに乗って体で表現することは楽しく、仲間と共に汗を流す時間はとても充実していた。

※奉詠:御詠歌を捧げること   ※やんちゃくれ:わんぱく

 

仏の道へ

 檀家の法事へ出かけたり納経所でお遍路さんに朱印の授与をしたり、父と母は忙しそうにしている。“一つの寺を守らないといけない”——兄を手伝っていた室戸時代とは違う大変さを背中に感じた。自分にできることといったら晩ご飯の手伝いくらい。夜の講がある時には、「めんどくさいなぁ」と思いつつも手伝った。
 父は長男である弟に僧侶を継ぐことを期待して声をかけていたが、弟は渋っていた。「お前は、どうな?」。希保さんに言葉が向けられた時、思わず口をついて出た。「私は、やれと言われたら、やる」。
 その後、父は「高校を出たらお坊さんの資格を取らないといけない」「修行するには頭も丸めないといけない」と時折声をかけてきた。卒業が近づき、父が勧める大正大学の仏教学科に進学し僧侶の資格を取ると決め、希保という僧侶の名前をもらった。初めて、仏の道の入り口に立った。

 

18歳の修行

 「僧侶は男社会。でも、100倍がんばれば、絶対同じ土俵に立てる」。僧侶になるため、18歳の夏、希保さんは最も厳しいことで知られる総本山を修行の場に選んだ。奈良県長谷寺の麓にある床屋で、金髪に染めていた頭にカミソリを入れた。
 総本山での修行は真言宗の僧侶が大昔から続けてきたもの。真夜中午前2時から起き出し、399段の廻廊を行き来し、正座を崩さず何時間もひたすらお経を唱える。男性の修行僧と同じペースで山の中のお堂を駆け回って参拝すると、滝のように汗が流れる。新聞や携帯などから下界の情報は一切入らず、睡眠時間も3時間ほど。体が悲鳴を上げていたが、歯を食いしばって死ぬ気でついていった。
 心身共に疲れイライラが頂点に達していた時、一緒に修行をしていた仲間の行動が目についた。周りの人を待たせ、一方で大事なことはさっさと済ませ、手を抜いているように見えた。「自分で決めてわざわざ総本山に来たんでしょ!」。思わず怒鳴ってしまった声が、自らの心に突き刺さった。
 33日間の修行を終えて下山したものの、もやもやとした気持ちは晴れなかった。お経を習ったり、お寺で実習をしたり、趣味の日本舞踊の教室に通ったり、大学生活は淡々と過ぎていく。   


18歳の夏、33日間の修行を終えた希保さん(中列・左端)

 

わたしなりの尼僧像

 このまま自坊に帰るか、大学院に進学するか——。将来を模索していた時、和歌山県の高野山大学に福祉を学ぶコースが新たにできることを知った。キリスト教系では盛んに行われていた死を目前にしている人へ寄り添うターミナルケアは、仏教の世界ではまだ少ない。大学に編入し福祉の勉強をすることにし、しばらく僧侶としての勉強や修行から離れることを選択した。
 高野山に移って間もなく知人から御詠歌をべースにした宗教舞踊の教室に誘われ、体で表現するのは大の得意と飛び込んだ。舞の型から所作の意味、手先の角度から瞬きの回数まで指導は厳しい。大会に向けて練習を重ねていたある日、先生にぴしゃりと言われた。「型はできているけど、あなたの舞には心が入ってない。観た人に御詠歌に込められた思いが伝わるかしら?」。
 ふと、ある出来事を思い出した。高校2年生の冬、叔父が急逝し、納骨のあとの墓前で手を合わせる母。「人のこの世は永くして、かわらぬ春と思えども……」。僧侶ではない母が、独特の節に追弔の和歌をのせて、若くして亡くなった弟を思い、歌っている。言葉の意味も歌の意味さえもよく理解できなかったが、涙がすーっと流れ落ちた。「お唱えする人も、周りの人も、心救われる」。御詠歌をやろう。目標が決まった。



希保さんが描いた“楽書き絵葉書”は 善楽寺の納経所で販売している。

 

御詠歌で心を支える

 卒業後、再び東京に戻り、友人の尼僧が住職を勤めるお寺を手伝いながら、御詠歌の指導者を育てる養成所に通い、資格を取った。26歳の春、自坊に戻り、副住職としてお勤めが始まった。
 年に何度か、各寺院に僧侶が一堂に会する大きな法要がある。「今度の法要は、あなたが讃頭で」。若手は法要の序盤に、お唱えするお経を先に一人で声を出し先導する讃頭という役割を担う。たった一人の尼僧だけど、男も女も関係なく扱ってくれたことは素直にうれしかった。
 しかし、男性の僧侶とは、キーの高さも声の質も違い、うまく接続できない。最大限低い声で唱えてみたり1オクターブあげてみたりいろいろやったが、うまくいかなかった。
 落ち込んでいた時、御詠歌教室のおばあちゃんたちがお寺にやってきた。「あんたの御詠歌聞きたいから法事にきて」「あんたが仏様の世界に連れていってくれるき、安心して年を重ねられる」。何かの支えになっているかもしれないと思うと、救われた。「女性だからできないこともあるけど、女性だからできることだってある」。御詠歌を洋線符に置き換えたり変調したりして練習をしていると、讃頭のキーにも糸口が見えてきた。
 御詠歌は年に一度の大祭・初祭りと、お釈迦様の誕生日を祝う花祭りに披露する。希保さんの発案で花祭りは境内に出るようにし、東京から琴と三味線の先生にも来てもらって合奏もするようにした。2、3年前からはワンコインでハンドマッサージを受けられる寺エステや、お抹茶の飲み比べができるカフェも開く。「日々忙しく、悩みを抱える人も多い。誰でも来てもらえるようなお寺にしたい」。そっと寄り添い支える、自分なりのスタイルを確立しようとしている。 


花祭りで境内に出て御詠歌を披露する(2014年)


2016年7月30日に、山主(住職)を引き継いだ。 今年は4月9日(日)に善楽寺で花祭りが行われる。詳しくは善楽寺まで(088-846-4141)

-Infomation-

今年の善楽寺の花祭りは2017年4月9日(日)に開催。
詳しくは、善楽寺HPか、BLOGをチェック!

 

【とさぶしMAP】善楽寺


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