Posted on 2016.09.23

家業を継いだあの人 せがーる No.16

やまさき料理店 ばかたれ製造  池本 自歩さんおいしいは元気の源

手作りの料理は人を笑顔にする。
アレンジが広がるたれを作って、料理をする人の役に立ちたい。

せがーる やまさき料理店 池本 自歩さん

四万十川のほとりで

 土佐の小京都、四万十市中村。かつて応仁の乱を避けて下向した一条教房が京の文化をこの地に伝え、今も夏の終わりには送り火が山に「大」の字を描く。  
 中村の町を流れる四万十川ではアユにウナギ、川エビ、ゴリなど川の幸が、佐賀や土佐清水など近隣の港ではカツオやサバ、ナガレコなど海の幸が揚がる。  
 大正時代、山﨑義重さんは魚屋として出発。お総菜も並べる大きな鮮魚店となり、焼いたカツオに塩と酢をふりかけて薬味をのせて手でたたく「塩たたき」もいち早く販売した。二代目の修さんも料理人となり仕出しを始め、1950年に昭和天皇が巡幸した際、陛下に御料理献上の命を受け、中村名物の「ゴリ」をお造りにし、「おかわり」の太鼓判をもらったという逸話も残る。1970年に「やまさき料理店」として建て替え、結婚式やお節句など祝い事に使ってもらおうと、婚礼用の神殿や300人近く入る座敷を設けた。皿鉢料理や車海老の塩焼きが評判となり、連日のように大賑わい。「おじいちゃんは豪快で、居酒屋で隣り合わせた人と仲良くなってすぐ奢る。人にすごく奉仕する人だった」と自歩さん(32)は思いを馳せる。


店の前に立つ初代・義重さん(写真左)と、料理をする修さん(写真右の手前)。やまさき料理店は施設の衛生管理の徹底を認められ、平成2年に厚生労働大臣表彰を受賞。四万十市では最も長く保健所の表彰を受けている。

 

食べ物に囲まれて


幡多農2年の時、オランダにホームステイした。異国の食文化や農業や畜産の現場を経験した。

 自歩さんは兄と弟に囲まれた一人娘。保育園の頃は、補助輪の付いた自転車であちこち出かけて母を困らせた。兄や弟とは違って「夢中になったら頑固」な性格。3歳からバレエ、6歳から硬筆を習い、小学生になるとピアノや英会話も習った。中学1年生の時には、勝手に海外ホームステイに申し込んで親を呆れさせたこともあった。


祖父の修さんと2人で。自歩さんの名前は修さんが「自ら歩め」という意味を込めて命名した

 料理店の4階が家族の住まい。1階のビアホール、2、3階の宴会場は連日お客さんが詰めかけ、刺身や皿鉢料理をこしらえる祖父と父に、母も女将として料理の仕込みや接客に忙しい。仕出しも座敷もいつ予約が入るかわからないので定休日はなく、家族で旅行に行くことなどほとんどなかった。たまの休みは家族で焼き肉を食べに行ったり、母が自慢のギョーザを大量に作ってみんなで食卓を囲んだりが貴重な思い出。「寂しい思いもしたけど、食べ物に囲まれた毎日だった」。

 

命をいただく

 仕入れをする父について、市場にもよく行った。野菜や果物、魚などが所狭しと並べられ、番号付きの帽子を被った仲買人や料理人が鋭い目利きで狙った品を競り落としていく。修さんの代から競りが始まる前に〝先取り〟をして、高くても良い物を仕入れてきた。「朝は早いし、魚の匂いが充満した車に酔うし、大変。でも狙って落とした魚を店に持って帰ると、あっという間に捌かれて、刺身になり、大きな大根がケンになる。それを見るのが好きだった」。
 祖母と父の出身校でもある幡多農業高校に進学。「お肉とか魚とか食べ物の原点を学びたい」と、畜産を専攻した。生徒はそれぞれ豚一頭を担当し、責任を持って育てる。愛着がわいて出荷の前はつらかったが、一方で、パックに入ったお肉になるまでの工程が見えないことに疑問がわいた。「屠殺も学びたい」。そう担任に直訴したが、叶わなかった。卒業後は県外の農業大学への進学も考えたが、故郷を離れて一人暮らしをする自信が持てず、地元のブティックに就職した。



 

秘伝のたれ

 自歩さんが20歳の頃、婚約した彼を招いて、家族でバーベキューをすることになった。彼はお土産に、一本のたれを持ってきた。  
 「何このたれ?!」「こんな味、はじめて」「これは、うまい!」。地元中村の醤油をベースに、ニンニクがガツンと効いて、幡多好みの甘めの味付け。舌の肥えた父も兄も、この味には大絶賛。どこで買ったのかと聞くと、彼の母の手作りだった。  
 彼の母は塗装業を営む家業の経理や事務をしつつ、米やオクラを栽培し、冬はアオノリ漁もする働き者。短い時間でもおいしい料理を食べさせようと自作の「たれ」を編み出し、いただいた野菜や魚などのお返しに配っていた。たれの噂はじわじわ広がり「たれと交換してくれ」と知らない人が肉を持ってやってくることもあった。
 自歩さんは結婚して長男が産まれてからも仕事を続け、夫家族と一緒に食卓を囲んだり、義母と一緒に台所に立ったりすることも増えた。「レシピ守ってくれるんやったら、たれ、作ってみたや」。義母があらゆる料理のレシピやアイデアを書き留めたノートは、年月が経って茶色く変色していた。    


たれを考案した池本京さんのレシピノート。A5サイズの小さなノートに、料理のレシピやアイデアが詰まっている。

 

働くお母さんの味方に

 レシピに記された材料、分量、手順。その通りに作っても、義母は「なんか違う」。何度も作り、チェックしてを繰り返し、1年粘って免許皆伝。知り合いや友人に配ったところ「子どもが野菜を食べた」「市販のたれは苦手だけどこれは好き」「売ってほしい」と声がたくさん届いた。しかし、製造許可を取るには衛生管理の行き届いた場所がいる。踏ん切りがつかなかった。  
 27歳で畜産関係の会社に転職。衛生管理の担当だが、頼みこんで高校時代に叶わなかった屠殺場を見学した。かつて手塩にかけて育てただろう豚が、電気ショックをかけられ、ベルトコンベアに乗って頭や内臓を除かれ、枝肉になっていく。「その瞬間はショックだったけど、生きるために命をいただくことに納得できた」。ふと思った。「私のたれも誰かの役に立てるかも」。  
 無名のたれにどんな名前をつけよう、悩んでいた時、義父がほげて一言。「ばかたれが作っちょうけん、〝ばかたれ〟でえいわえ」。義母はぎょっとしていたものの、「すごいインパクト、いただきます」と自歩さんは決めた。
 自歩さんは休日に父の料理店の調理場を借りてたれを作り、宴会の料理に使ってもらったり、店頭に並べたり。「なんで料理屋が焼肉のたれ?」「娘はもう嫁に行ったがやない?」。首をかしげるお客さんも多いが、一度食べると舌鼓を打ち、「家族に食べさせたい」とリピーターになってくれた。「おいしい料理は人を笑顔にする。たれで、料理をする人を応援したい」。  料理店が作るたれとして、宴会、仕出しに次ぐ、3つめの柱になろうとしている。


「ばかたれ」は、やまさき料理店(四万十市中村小姓町3)の他、四万十市の彩市場、四万十町のBooker's、デュロックファームで販売している。11月6日に四万十町で開催される米こめフェスタにも出店予定。


焼き肉以外にもばかたれを使ってもらおうと、自歩さんはアレンジレシピを考え、Facebookで公開している。


父の山㟢修蔵さん、母の眞理子さん、弟の翔太さんと店の前で。

やまさき料理店は自歩さんの父と兄、弟も板前として店に立つ。仕出しや宴会のほか、1階は年中3,500円で飲み放題食べ放題のビアホールも営業している。

 

【とさぶしMAP】やまさき料理店


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