Posted on 2015.06.24

家業を継いだあの人 せがれ No.11

メガネのクスノセ  楠瀬昭一さん 笑顔があふれる商店街へ

お客さまの声に耳を傾け
メガネの楽しみ方を伝えている


商店街で育つ


メガネのクスノセの店内

 「こんにちは。今日はどうされましたか」。やさしい口調、やわらかな物腰、そしてメガネの奥の誠実な眼差し。楠瀬昭一さん(41)がマネージャーを務めるメガネのクスノセは、大正9年、堺町で「楠瀬眼鏡店」の看板を揚げた。昭和20年の空襲で店舗が焼失し、戦後、衣料品店や時計店などが相次いで出店した帯屋町1丁目の1階に店舗、2階には家族の住まいを構えた。


戦後すぐのメガネのクスノセの店舗

堺町から帯屋町に移る間、上町で営業していた時代。

 商店街は店の集合であり、その家族の居住区でもある。子どもの頃は2階の窓からアーケードの上に出て、行き来することもよくあった。「バブルの頃は、朝シャッターを開けると、すでにお客さんが人だかりを作っていることもあったそうです」。商店街のどの店も物を並べたら売れる、そんな時代。商店街はにぎわい、人も活気もあふれていた。

 「商店街の子どもはみんな仲良くて、アーケードでキャッチボールしたりサッカーしたり」。日曜日は、わざわざ日曜市を通って遊びに行く。「犬とか鶏とか金魚とか、動物がようけ※おったがです」。楠瀬さんは〝お町〟のど真ん中で伸び伸び育った。

マーチングに夢中


楠瀬昭一さんのマーチング時代

憧れのマーチングバンドで 全米を駆けめぐっていた時代。

 日曜市の通りに面する高知市立追手前小学校を卒業し、中高一貫校に入学してすぐのこと。強面の先輩が教室に現れ、いきなり絡まれた。「放課後、教室で待ちよりや」。断ることもできず待っていると、音楽室に連れていかれた。「はい、今日から吹奏楽部ね。今年はマーチングにも力を入れるき!」。ぽかんとしていると、ホルンという楽器と楽譜を渡され、部活生活が始まった。

 隊列を組み、歩きながら楽器を演奏するマーチング。「楽譜を読むだけでも精一杯やのに、1時間ずっと足踏みの練習とか、運動部並みにハード」。部員100人、練習はどんどん厳しくなり、中学2年の時には全国大会に出場するまでに成長した。「イベントや町のパレードにもよく呼ばれました。家の前を歩く時はさすがに恥ずかしかったですけど」。音楽で人を笑顔にするマーチングの楽しさに魅了され、大学4年生の夏、渡米して憧れのマーチングバンドの一員として全米の大会に出場した。


継ぐ決意


よさこい帯屋町筋の楠瀬昭一さん

楠瀬さんは、よさこいチーム帯屋町筋の隊長でもある。 よさこい祭りの本祭では、提灯を持って先頭で踊る。

 3か月のアメリカ生活を終え帰国してみると、就職氷河期の真っただ中だった。「まわりの友達は3年生の頃から就活しゆうのに、自分は好きなことさせてもらって」。高知に戻って家族と食事をしていた時、卒業後の話題になった。父は一言、「おまん、メガネ屋でええんか?」。いつかは継ぐと決めていた、生まれ育った商店街のメガネ店。迷いはなかった。

 大学を卒業して眼鏡の専門学校で2年学び、神戸市の老舗メガネ店で見習いとして働いた。接客から、検眼、メガネの加工まで全てを学び、2年間の修業を終え、家業であるメガネのクスノセに入社した。

 父と母、ベテランスタッフと店に立つ日々が始まった。県外の展示会へ出かけて商品を仕入れたり、セールなどイベントの企画を立てたり、父や母が担ってきた仕事を徐々に引き継いでいった。

 帯屋町の組合の青年部にも加わった。正月は初売りの獅子舞や書初め、成人式の写真撮影サービス、夏は商店街に露店を出す土曜夜市、よさこい祭りのチーム運営。「傘屋、呉服屋、カメラ屋、みんな商店街の店のせがれ。どこの店が閉めた、競合店が入ってくるとか情報交換もしますけど、常に明るく楽しく、商店街をどう盛り上げるのかを目指して話し合います」。

あき

ピンチ到来


 ちょうどその頃、帯屋町は大きな変化を迎える。2000年、郊外に大型ショッピングモールが開店。中高生がクレープを買い求めたダイエーショッパーズは2005年に閉店した。更地と駐車場になり、アーケードには無機質な塀だけが残った。2006年には映画館もなくなり、空き店舗が急増した。

 そんなある日、とんでもないニュースが飛び込んできた。「2軒隣りに全国チェーンのメガネ店が出店する」。フレームとレンズがセットで5千円、1万円という激安かつ明朗会計。「どうする? 価格では絶対負ける」。

 まず、今までメガネのメンテナンスや買い替えに来ていたお客さんが離れた。ふらっと入ってきたお客さんは「5千円で作れるがやないが?」と言って帰ってしまう。メーカーからも「安い商品を置いたら」とまで言われる始末。「確かに楽なんです。フレームもレンズも限られていて選択肢が少ない。でもそれで満足してくれるとは思えない」。案の定、安い価格帯の商品を投入した他県のメガネ店が閉店したという噂が聞こえてきた。


帯屋町1丁目のメガネのクスノセ

帯屋町1丁目のメガネのクスノセの店内

あき

メガネで笑顔に


古めかしいメガネ(メガネのクスノセ)

ショーケースの中の、古めかしいメガネ。祖父や父の時代のメガネの展示もしている。

 2008年、メガネのクスノセは店を改装した。入り口の半分を占めていたショーケースを店内のサイドに移し、家族やお連れさんがゆったりできるよう喫茶店のようなテーブル席を設けた。トイレを広くするため配管工事もし、新しい検眼機も入れた。「昔ながらの古い店構えから、明るく入りやすい店にしたかったんです。提案したら、父も賛成してくれて。店がきれいなだけじゃなくて、もっとメガネも充実させたい」。県内では手に入らなかった海外ブランドや個性的なフレームを取り揃えた。視力を正確に測るのはもちろん、スマホを使う人に合わせたレンズなども提案する。フレームとレンズをセットして「思っていたのと違う」と言われれば、気に入ってもらえるまでやり直した。


メガネのクスノセの楠瀬昭一さん

 しだいに同世代や女性、飛び込みのお客さんが目立つようになった。コンタクトからメガネに変えた女性は「若く見えると評判」と笑顔を輝かせている。「スーツの時、髪をアップにした時と、メイクや洋服を変えるように自分の印象を一瞬で変えることができるのがメガネなんです。かける人の人生をも変えるかもしれない緊張感があります」。メガネは道具だけど、売って終わりではない。時代が変わっても、お客さんが安心してお店にやってきて笑顔になれば、また足を運んでもらえる。

 今秋、ダイエー跡地に書店やカフェなど複合施設がオープンする。マンションも完成し、商店街に住む人が確実に増える。すぐ裏手には、新図書館のオープンも控えている。もう一度、にぎわいあふれる商店街に——ここで生まれ育った次世代の出番がやってきた。

あき


土佐弁講座  ようけ:いっぱい


 

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