Posted on 2015.03.24

家業を継いだあの人 せがれ No.10

新谷商店 新谷重人さんだしの味を残したい

宗田節発祥の地、土佐清水市。
かつて土佐人が編み出した、節の技術を受け継いでいる

宗田節の節納屋、新谷商店四代目の新谷重人さん

 ゴウゴウとメヂカを炊くバーナーの音。メヂカをセイロに並べ何重にも積んでいく「はい」「せーの」の掛け声。釜揚げしたメヂカの蒸気が工場に充満し、女性たちが柔らかく茹で上がったメヂカの頭と骨と内臓を手で素早く落としていく。焚き納屋へ運ばれ、ボサと呼ばれる広葉樹の薪に火をつけると、白い煙が立ち上る。

 

引き継がれる魂


宗田節にする前の煮熟の工程

メヂカを釜茹する「煮熟(しゃじゅく)」。 一気に茹であげたメヂカは味がしっかりしていて、食卓のおかずにもなる。

宗田節の原料になるメヂカ

素早い手さばきで生のメヂカが節に変わっていく。

 江戸時代初期、黒潮に流された紀州の漁師が鰹節の製法を伝えた。土佐切りと言われるカツオの捌き方、広葉樹をどんどん燃やす焙乾方法、その後、カビ付けと天日干しを繰り返し、さらに乾燥と熟成を進める。土佐人が趣向を凝らした節は「改良土佐節」と評判が広がり、江戸城の殿様に献上された。土佐節には試行錯誤を重ねた土佐人の魂が宿っている。
 以後200年余り鰹節の産地として栄えたが、戦後、土佐清水市のカツオの水揚げが減少する。先人たちはカツオと共に水揚げされながらも捨てられていたメヂカに目をつけ、カツオと同じ製法で節にした。ガツンと濃い出汁の出る宗田節は、関東、東海、関西のそば屋、うどん屋から支持を受け、全国一の産地となった。
 土佐清水市中浜の節納屋・新谷商店の新谷重人さん(38)は、「こんな小さい魚の頭と骨と内臓を丁寧に取り除いた節は全国でも珍しい」と言う。清水の漁師が釣ったメヂカを、近所の女性が手作業で成型し、地元の山師が切ってきたボサをくべて、燻製する。土佐清水だけで完結した宗田節を県外に売って出る、他にはない地産外商を続けてきた。

 


新谷商店の屋号

大正10年に鰹節製造、卸、販売をはじめた新谷商店。 今もマルキュウの屋号で節をつくる。

ボサと呼ばれるたきなやにくべる雑木

ボサは山師から直接買い、よく乾燥させて使う。

 

生き物に囲まれて

 「目が近いけんメヂカ言うがですけど、わりとかわいいがです。黒潮の魚やけん、背中は黒く、腹は白い保護色。19℃以上の暖かい海を求めて北は東北、南は台湾まで泳いでいく。鱗がないけん寒がりながやろうか」。
 メヂカを想う新谷さんは3代続く節納屋の長男として生まれた。カブトムシやクワガタを飼ったり、磯の水たまりでタコやウツボの子を捕まえて水槽で世話したり、生き物に囲まれて育った。時には玄関前に干した節を取り込んだり、ダンボール箱を運んだり、家の仕事を手伝うこともあった。小学校の文集に「節納屋を継ぐ」と綴ったが、その気持ちは徐々に薄らいでいった。
 高知市内の高校に進学し、土佐清水を離れた。海のない街で暮らすうち、「うちんく(※)は水も空気もきれいやった」と気づき、「なんとなく環境にえいことしたい」と岡山大学の環境理工学部に進学した。  
 卒業が近づき、化学や物理の知識を活かせる会社を探した。「岡山市内やったら世話できると教授に言われたがですけど、高知に帰りたいなと思うて」。高知県内の企業の募集は少なく、唯一受けた会社から採用通知が届くことはなかった。そのまま卒業式を迎え、土佐清水に戻った。「とりあえず家の仕事でも手伝おう」。


新谷商店四代目新谷重人さんの幼少時代、お正月の年取りの行事

土佐清水に伝わる正月の行事「年取り」。お米の上の橙に松竹梅を差した重箱を頭に掲げ、お神酒をいただき、最後に削り節を一口食べる。


新谷商店四代目新谷重人さんの幼少時代、二代目のおじいさんと。

2代目の祖父といっしょに。


家業に入る


 社長である父親に言われるがまま、一従業員として仕事を手伝った。朝6時からメヂカを茹で、頭を落とし、身を割いてセイロに並べる。3階建ての焚き納屋にぎっしり節を詰め、毎日入れ替えて燻し具合を調整する。天気のいい日は節を天日に干し、選別して出荷する。  
 節を選別していると、祖父が杖をついてやって来ることがあった。「見逃した脂ののった節を杖でコンコン叩くがです。あればあ年とっちょってもよう見よう(※)」と苦笑い。鰹節から宗田節に転換させて成功した時代を生きた祖父は、メヂカを買ってきて製造は息子に任せ、毎日酒を飲んでどんちゃん騒ぎ。「毎日が祭りのようで、土佐清水全体がすごい活気があった時代。メヂカも大量に買い付けるので、大漁貧乏することもあったと親父は言うてましたけど」。


燻製した宗田節を天日干ししながら選別する様子、新谷商店

約400gの寒メヂカを節にするとたった80g。メヂカのうま味がぎゅっと凝縮している。 天日干しを経た裸節は関西や東海、さらにカビ付けして半年ほど熟成させた節は関東で使われることが多い。


ピンチ到来


 新谷さんが節納屋で働いて5年ほど経った2003年。毎年1月になると盛んになる寒メヂカの漁が始まらない。いつもならジャンジャン鳴る市場からの電話が鳴らず、納屋はシーンと静まり返っていた。  
 その年、土佐清水は記録的なメヂカの不漁に見舞われた。水揚げは前年の1万4千トンから半減し6千トンを切った。
 時を同じくして、不景気や高齢を理由に宗田節を愛用していたそば屋やうどん屋が店を畳み、問屋の廃業も続いた。節納屋は節を20㎏の段ボールに詰めて、節専門の問屋に卸すだけ。「卸の先には削り屋がおって、そば屋や一般消費者がおるけど、その反応はつかめない」。高知県はおろか土佐清水でも日常的に宗田節を使う人はほとんどいなかったし、削り節を扱う店は鹿児島から仕入れた鰹節を削っていた。  
 「うちの宗田節、削ってみよう。まずは味を知ってもらわんと」。両親は削った宗田節を一般消費者に届けようと、小学校に出て行って食育の授業をしたり、地元の物産店で試食会をしたりと動き始めた。

責任のある仕事

 ある日、新谷さんは父から入札に行くよう言われた。「それまで市場の入札は親父が行って、せりが終わってから自分が魚を取りに行きよったがです。自分がメヂカを見極められるのか不安で」。市場に行くと、市内の節納屋が集まり、魚体、鮮度の良し悪し、脂の乗り具合を鋭い目でチェックしている。見よう見まねでメヂカの様子を電話で父に伝えると、「こればあで札入れちょくか」。言われるがまま札を入れた。  
 初めて決算書も目にした。数字上は黒字だが、経営は年々厳しくなっている。「親父は絶対落とせる強い札を出してメヂカを買うがです。6トンのメヂカを落とすのに1円違えば6千円、次の札と10円差があれば、6万円近く安く買えるのに」。原価が上がれば節の値も上げざるをえない。質のいい節を見本に送って少しでも高く買ってもらおうと問屋に交渉するも、「そんな高いもんは使えない」と値が折り合わない。  
 その頃だろうか、悪夢にうなされるようになった。「真っ黒いキントウンみたいな雲が突然現れて、干しちょう節に雨を降らせるがです」。苦労して作った節が、一瞬で売り物にならなくなる。何度も何度も、夜中に目を覚ました。

節の味を次世代に


新谷商店の宗田節商品。卵かけご飯専用の極上宗田節と、だし醤油専用の宗田節

宗田節の中でも特にコクのある笹メヂカを極限まで薄く削った「卵かけご飯専用」。脂が少なく香りのよい極上の寒メヂカのみを厳選した「だし醤油専用」。土佐清水市内のホテルや直売所の他、新谷商店のHPから購入できる。

 新谷さんが家業に入って15年。今では札入れの時は自らの意見を重ねるようになった。「親父、それは強すぎやろうって。他の納屋の雰囲気を見て、なるべく安い値段で、でも確実に落とせるように」。  
 削り節やだし醤油用の節、卵かけごはん専用の超うす削り。焚き納屋を燻製器代わりに使い、メヂカのなまり節や清水サバの燻製も生まれた。売り上げの、1、2割が一般消費者向けの商品に変わった。  
 2年前に結婚してからは、試食会を開いたり展示会に出店したり、両親が続けてきた営業的な仕事をすることも増えた。「子どもらは味覚が鋭いけん、節と味噌だけの茶節一口で喜んでくれるがです。人と接するのはよう慣れんがですけど、おいしいと言うてくれる人がおる限り、宗田節を造り続けないかんと思います」。

新谷商店  http://soudabushi.com/
宗田節の原料になるメヂカや節の製法も詳しく紹介しています。削り節や燻製商品の購入もこちらから。


土佐弁講座アイコン

※うちんく:自分の家、地元のこと。
※あればあ年とっちょっても、よう見よう:あんなに年をとっているのに、よく見ている。
 特に高知県西部の幡多地域は「〜している」ことを「〜しよう」と言う。

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