Posted on 2013.01.24

伝説探訪

【序章】「福蛇」を訪ねて

深山幽谷(しんざんゆうこく)の淵には、蛇にまつわる伝説が多い。
悲運やたたりの話はたくさんあるが、
大豊の箕淵(みぶち)には雨の恵みの神として蛇が祀られていて竜宮伝説があるとか……。
2013年は巳年。
福をもたらす蛇の話にあやかろうと、とさぶし調査員3人が潜入!


朝から降りやまない雨。11月の雨は冷たい。
高知市から北東へ、高速を30分も走ると大豊のインターだ。
福蛇を求め、調査員は大田口川の上流へと車を走らせる。
ぐねぐねとした道を上っていくと突然、舗装が途切れた。
「くそっ、ここからは徒歩か」
車を捨て、雨にうたれながら山道を歩く。すると、前方に丸太橋!! 
一歩足を踏み出すと、みしみしとたわむ。雨に濡れた丸太はツルツルとして、腰がひけてしまう。
「もし落ちたら……」
ここで、調査員2人が脱落。たった1人でカメラ片手に進む。
「と、鳥居がある!!」
突然、鳥居が現れた。行くしかない。鳥居をくぐると、祠があった。
下の川の方には箕淵と思われる淵があったが、雨のうえに急斜面で、おまけに道がない!
降りるのを諦め、祠を観察してみると、ぽつんと卵が……!!
蛇の神様に供えられた、卵。蛇の神様の姿はもちろん見えなかったが、
地域の人たちにとっては、蛇神様は確かに存在しているのかも。
こんな山奥の祠に、今もなお卵を祀るという信仰の厚さに、改めて驚いた。
この日はずっと雨。
やっぱり蛇は、雨の神様だった。


謎めいた淵が眼下に……



祠に供えられている卵

高知の蛇人形いろいろ


安芸土鈴

香泉人形

すずめ共同作業所 作

香泉人形


*資料提供/高知県立歴史民俗資料館
高知県立歴史民俗資料館では、毎年、干支にちなんだ玩具を展示しています。
〈郷土玩具収集家・故山﨑茂氏によるコレクション〉


竜宮伝説と言われる「箕淵の伝説」とは……

 「大豊町史」(昭和49年・大豊町史編纂委員会)より引用

 その昔、寺内村の「榎」に明光院という寺があった。〈中略〉この明光院に権大僧都智海房という住職がいた。吉野川と支流奥太田川との合流点から約一㌔程遡った処(寺内と石堂の境)に底知れぬ淵がある。〈中略〉この淵は箕をふせたような形をした淵が三つ連なっているところから「箕淵」または「三淵」と呼んでいるがそのどちらが正しいのかは定かではない。〈中略〉

 さて、豊永郷に大干魃があり農民達はあの手この手で雨乞いをしたが何の効果もなく困り果てていた。智海房はこのとき、生命をかけて箕淵にこもり、雨乞いの荒行に入ったのである。ところが何のはずみか手に持っていた「ほら貝」をこの淵に落し込んでしまった。智海房はこのほら貝をとりに行く為、千日がかりで鍛えたという「関の小刀」を口にして淵底にすみ込んで行った。すると奥釜のあたりに水のない場所があり、きれいな部屋の中で美しいお姫様が機を織っていた。

 お姫様は智海房の来訪に驚いた様子であったが、やがて部屋に案内し、四方扉のうち北の扉は絶対に開けぬよう智海房に云って、ご馳走の準備のため部屋を出て行った。そこで智海房は、めずらしいこともあるものよと早速南側の扉を開けてみた。そこには百花咲き乱れた美しい春たけなわの景色があった。東の扉を開いてみると真夏の季節である。西の扉を開くとすっかり紅葉した秋の景色が目に映った。好奇心にかられた智海房は、お姫様から禁じられていた開けてはならぬ北の扉を開いてしまった。ところがそこには野鹿の池の毒蛇がとぐろを巻いて寝ていた。

 智海房は、おそいかかる毒蛇を関の小刀で払いのけていたがあやういところをお姫様に助けられて無事難を免がれ、山海の珍味をご馳走になり、三日間滞在してお姫様に別れを告げて帰ってきた。ところが寺内村では智海房が行方不明ということで大さわぎをしたが、やがて「あきらめ」に変り、三年目を迎えてその法要を営んでいた。〈後略〉

  • share
  • tweet

Tag

トップページへ