Posted on 2015.06.04

家業を継いだあの人 せがれ No.1

株式会社アリサワ 代表取締役杜氏 有澤浩輔さん細かいノイズを 取り除き
フレッシュでおいしい
酒をつくる

「おきゃく」が好きで、日本酒文化が豊かな高知には、
小さくても我が道をゆく蔵がたくさんある。
奇抜な味で隙間をねらうわけではなく、飲み飽きしない酒を目指すという有澤さん。
時代や人が移りかわる中、今年はどんな酒質で勝負をするのだろうか。


 土佐山田駅の駅前通りに、一軒の造り酒屋がある。アリサワは明治10年に創業し、居酒屋や喫茶店、コンビニの経営など、新しいことに挑戦してきた歴史を持つ。小さい酒蔵が桶売りに流れた時代も、低価格のパック酒を開発し、販路を広げて酒造りを守ってきた。  
 有澤浩輔、42歳。自称、甚六。「落語でいう跡取りのバカ息子。まあそんな感じです」。幼少時代、蔵に入って遊んだ記憶はない。「野山を駆けめぐるような子どもではなく、一人で折り紙したり、本を読んだり」。  
 中学時代、音楽と出会った。きっかけは、友達が聴いていたYMO。その後、プログレにのめりこんだ。「キングクリムゾンなんか、メガネに七三分け、ポーズもとらずにもくもくとギターを弾いている。不健康が売りのロックを逆行するスタイルに惹かれました」。   
 家業を継げとは言われなかった。先に逃げたら弟が継ぐだろうと、高校を卒業をして18歳で上京。音響技術専門学校に進学し、マスタリングエンジニアになった。「CDが何十万枚と売れていた時代でした。日本はバブル真っ只中ですが、あまりピンとこなかったですね。会社と家の往復でしたから」。  
 24歳。父がガンになったと母からの知らせ。いい状態ではない。弟はまだ高校生。「早めに帰ってきた方がいい」と家族に説得された。帰高すると、父の容体は回復した。「さっき、隣にいたのが父。今も一緒にやっています」。帰ってくるんじゃなかったかな、と冗談まじりに笑う。  
 最初の仕事は、既に取り引きのあった酒販店へのパック酒の営業だった。数年後、杜氏に付いて酒造りをはじめ、徐々に技術が身に付いてきた。「でも、こんな酒を造りたいという目標は、ワンテンポ遅れてきた」。
 自分の目指す方向が見つかると、新酒鑑評会や市販酒のコンペなどで腕試しをしてきた。全国の舞台で勝負する理由を、酒質で認められたいから、と言い切る。「音楽と同じで、小さい欠点をひとつひとつ、つぶしていく。職人気質なので、試行錯誤するのは好きなんですよ」。蔵に入って18年が経つ。父の代とは違い、杜氏と経営者を兼ねる。「よい造り手になるには、よい飲み手になること。シーズンオフは県外に出て行って、全国のお酒を飲む。自分が造りたい酒のイメージを、少しずつ絞りこんでいくんです」。時代の流れを見て、自分の提案したい味のバランスを追求していく。  
 今年は、妻の綾さんと20代の若い蔵人と酒造りをしている。蔵には子ども用の自転車がある。
「息子には6代目になってほしいって言っています。反発されるかもしれないですけど」。


梨のような香りが漂う。普段は外気より低温を維持するため冷房をかけている仕込み蔵だが、今はもう外の空気の方が冷たくなった。仕込みタンクから搾り槽まで30mほどのホースが伸びる。酒袋にもろみを詰め、規則的に槽に並べると、荒走りが桶に流れていく。




【せがれのこだわり】厳密な造りと管理でフレッシュさをまとう

酒を仕込んで搾るまではマニアックなくらいこだわって、搾ったあとはすっぴんのまま、出す。
原料処理の洗米と吸水、搾り方。昔ながらの酒袋を積んでじわっと搾る。搾ったあとは、香りを逃さない瓶火入れを1回。
搾りたてのフレッシュなお酒を届けたいので、氷点下の冷蔵庫でお酒を管理する。
酒屋さんも、冷蔵庫で管理してくれるお店だけに置いている。

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